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三室戸寺は、770年(宝亀元年)に光仁天皇の勅願により創建されたという修験宗の寺(総本山は聖護院)。 開山は、奈良の興福寺で学んだという行表。 山号は明星山 本尊は千手観音。 伝承によると、光仁天皇が毎夜宮殿に差し込む光を見て、右少弁犬養(うしょうべんいぬかい)の命じ、光の源を探せた。 犬養が御室戸山で光っていた千手観音像を持ち帰ると、光仁天皇は行表に寺を建立させ「御室戸寺」と称させたのが始まりだという。 また、入口の新羅明神は園城寺(三井寺)の新羅社を勧請して祀ったもので、寺も園城寺の別院だったのだという。 西国三十三所第10番札所。 「夜もすがら 月を三室戸 わけゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波」 御詠歌は、西国三十三所中興の祖といわれる花山法皇が巡礼の際に木の短冊にしたためた和歌なのだという。 |
福徳兎 |
勝運の牛 |
宇治の古代表記は「菟道」。 「菟」は「くさかんむり」に「兎」という字。 応神天皇の皇子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)が河内国から来るときに道に迷っていると、一羽の兎が案内してくれたという伝説からのもの。 菟道稚郎子は宇治上神社・宇治神社の祭神。 |
紫式部の『源氏物語』五十四帖の最後の十帖は「宇治十帖」(うじじゅうじょう)。 主人公の光源氏が亡くなった後の物語。 美しいと評判で光源氏の次男・薫と孫の匂宮。 そして、光源氏の異母弟の八の宮の娘だった大君・中の君・浮舟の悲しい恋物語。 三室戸寺の鐘楼脇には「浮舟古蹟碑」が建てられている。 かつてあった「浮舟古跡社」 の代わり建てられたもので、浮舟の念持仏とされる本尊の「浮舟観音」は寺に移されている。 |
宇治神社の鳥居の前、朝霧橋の袂に置かれた「匂宮と浮舟の像」は、匂宮と浮舟が小舟で宇治川に漕ぎ出す場面をモチーフにしたもの。 |
紫式部公園 (越前市) |
紫式部像 (紫式部公園) |
「宇治十帖」の浮舟の巻・手習の巻には、紫式部が娘時代に暮らしたことがある越前国の武生が登場する。 紫式部の越前下向を記念して整備された紫式部公園には、金色の紫式部像が置かれている。 |
親鸞の父日野有範の墓があった場所。 親鸞の娘・覚信尼が墓を整備して堂を建てたのだという。 |
春草廬(しゅんそうろ)は、織田有楽斉が建てた茶室といわれ、かつては三室戸寺の金蔵院にあったが、現在は横浜の三渓園に移築されている。 |
京都府宇治市莵道滋賀谷21 京阪宇治線「三室戸駅」下車 徒歩15分 |
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