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薫(かおる)は、紫式部の『源氏物語』の登場人物で、「宇治十帖」の中心人物。 光源氏の次男だが・・・ 実は、内大臣(頭中将)の長男・柏木と光源氏の継室・女三宮の不義の子らしい。 母の女三宮は、光源氏の不興を買って出家。 絶望した父の柏木は、光源氏の長男・夕霧に取り成しを頼むが病で死去。 薫は六条院で育つが、光源氏が亡くなった後は冷泉院と秋好中宮に可愛がられて育つ。 冷泉院は異母弟と思っていたらしい・・・ |
※ | 冷泉院は、桐壺帝の第十皇子とされるが、実は光源氏と藤壺の不義の子。 |
我が子ならぬ我が子(薫)を抱く光源氏。 藤壺との密事を思い合わせる光源氏・・・ ただ、『源氏物語』で薫が柏木と女三宮の子と断定しているわけではない。 紫式部の泉は、『源氏物語絵巻』の3場面をモチーフにつくられた噴水。 |
柏木の遺品・横笛~夕霧と光源氏と薫~源氏物語 |
生まれつき良い香りをまとい、人々を魅了していた薫。 そのため、「薫る中将」と称されていた。 |
20歳の時、宇治の山荘で仏道修行をしている光源氏の異母弟・八の宮のことを知り、宇治へ通い始める。 通い始めて3年目の秋のある日・・・、 久しぶりに宇治を訪れた薫は、有明の月の下で箏と琵琶とを合奏する大君・中の君の姉妹を垣間見て、美しく優雅な大君に心惹かれる。 同じ頃、かつて柏木に仕えていた八の宮家の女房・弁の尼から出生の秘密も明かされている。 翌年の夏、八の宮が参籠していた山寺で病を得て死去。 八の宮は、姫たちの後見を薫に頼んでいたようだが・・・ 一方で、姫たちには「いい加減な者の言葉にのって宇治を出るな」と訓戒していた。 年の暮れ、宇治を訪れた薫は匂宮(光源氏の孫)が中の君を慕っていることを語り、自分の恋心を大君に話すが・・・ 大君は中の君を薫と結婚させようと考えていた。 八の宮の一周忌が営まれた夜、薫は大君に拒まれ、その後も寝所に忍び込むが、それを察した大君は中の君を残して抜け出してしまう。 中の君を匂宮と結婚させてしまおうと考えた薫は、匂宮を手引き。 中の君に夢中になった匂宮だが、その身分から宇治に通うことは難しかった。 そして、匂宮と夕霧の六の宮との結婚の噂を耳にして心を痛めた大君は病となり死去してしまう。 大君の死後、中の君は明石の中宮の許しがあって二条院に移ることに。 |
※ | 明石の中宮は光源氏の娘で匂宮の母。 |
八の宮の宇治の山荘は、宇治上神社がモデルともいわれる。 八の宮は、桐壺帝の第八皇子。 光源氏が須磨・明石に蟄居している間、異母兄の朱雀帝が即位すると・・・ 朱雀帝の母・弘徽殿女御は、東宮(のちの冷泉帝)を廃して八の宮を擁立しようとしたが失敗。 そのため八の宮は、光源氏の権勢の中で忘れられた存在となり、邸宅が焼失してしまったことを機に姫君たちとともに宇治に隠棲していた。 |
今上帝の皇女・二の宮の降嫁が決まった薫は、飛香舎(藤壺)へ通うようになる。 一方、匂宮は夕霧の六の宮と結婚。 匂宮が美しい六の宮のとりこになってしまうと、心を痛めた中の君は薫を頼るようになる。 いつしか、薫の中の君への同情心は恋い慕う気持ちへと変わっていく。 中の君が懐妊していたため、情を通じることはなかったが、匂宮に薫と関係を疑われた中の君は・・・ 薫の心をそらすため大君と生き写しの異母妹・浮舟の存在を明かす。 |
※ | 六の宮は夕霧の側室・藤典侍の産んだ子で、朱雀帝の第二皇女・落葉の宮の養女。 |
中の君が移った二条院は、光源氏が故按察大納言邸で暮らしていた紫の上を迎え入れた邸宅。 幼い頃、紫の上に育てられた匂宮は二条院に住んでいた。 |
琵琶を弾く匂宮とそれを聞く中の君。 薫との関係を疑った匂宮だが、我が子を懐妊していた中の君のすぐれぬ心をまぎわらすために琵琶を弾いて慰めた。 その後、中の君は無事に男子を出産。 中の君との仲に反対だった明石の中宮(匂宮の母)も二人の間に男子が誕生すると祝福している。 紫式部の泉は、『源氏物語絵巻』の3場面をモチーフにつくられた噴水。 |
薫は美しい今上帝の皇女・二の宮を妻としたが・・・ 長谷寺参詣の帰りに八の宮の旧邸に立ち寄った大君と生き写しの浮舟を垣間見て、弁の尼に仲立ちを頼む。 ただ、浮舟の身分は低く、母の中将の君も薫との縁談には消極的。 母とともに東国へ下り再婚相手の常陸守のもとで暮らすことになる。 そのうちの左近の少将と婚約したが、財産目当ての左近の少将は浮舟が常陸守と血のつながりがないと知ると婚約を破棄。 居場所を失った浮舟は、二条院の中の君に預けられるが、匂宮が浮舟に心惹かれるようになる。 間違いがあってはならないと中将の君は三条の隠家に浮舟を移し、それを聞いた薫は宇治に囲うが・・・ 薫の浮舟への愛は大君の身代わりとしてのもので、浮舟そのものを愛していたのではなかった。 一方、浮舟を忘れられない匂宮は、宇治を訪れ、薫をよそおって浮舟をわがものにしてしまう。 浮舟も情熱的な匂宮に惹かれるように・・・ |
薫は浮舟を都に移すことにしていたが、匂宮は雪をおかして宇治へ向かい、小舟で宇治川を漕ぎ出し、浮舟に永遠の愛を誓う・・・ そして、対岸の因幡守の別荘へ。 「匂宮と浮舟の像」は、匂宮と浮舟が小舟で宇治川に漕ぎ出す場面をモチーフにしたもの。 |
紫の上が二条院に迎えられる前に暮らしていた故按察大納言邸は、京都文化博物館辺りにあった。 薫が浮船を迎えるために修造している家もこの辺りだったのだという。 |
対岸の家で深い喜びを味わった匂宮と浮舟だが、二人の秘密はやがて露見。 匂宮と薫との間で進退きわまった浮舟は、どちらに従ってもどちらかが傷つくと考え、死を決意して失踪。 落胆する薫と匂宮のもとに浮舟の死が伝えられるが・・・ 自殺を図った浮舟は、意識不明の状態で比叡山の横川の僧都に発見され、僧都の妹の尼僧に看護されて助かっていた。 数か月後に意識を取り戻すが出家。 |
浮舟の葬儀は遺骸のないままに営まれたが、石山寺に参籠していた薫は野辺の送りの後に真相を知った。 |
その後、薫は宇治山の寺で四十九日法要を営むが、この山の寺は三室戸寺のことともいわれる。 |
明石の中宮から浮舟の生存を知らされた薫は、比叡山参詣にことよせて横川の僧都を訪れ、山麓の小野の地で浮舟が尼となって暮らしていることを知る。 薫は浮舟の弟・小君に手紙を託すが、浮舟は人違いだといって小君に会おうとはしなかった。 浮舟が薫を拒絶して『源氏物語』は幕切れとなる。 |
浮舟を救った横川の僧都のモデルは恵心僧都源信なのだとか。 比叡山の横川にある恵心堂(恵心院)は、藤原兼家が建立。 恵心僧都源信が修行をし『往生要集』を著したことから、浄土信仰発祥の地といわれる。 |
宇治の恵心院は、恵心僧都源信が再興した寺。 |
紫式部が越前に下る際に渡った琵琶湖に浮かぶ浮御堂は、恵心僧都源信が創建した満月寺の堂。 |
「宇治十帖」には、紫式部が娘時代を過ごした越前国武生も登場する。 浮舟の巻では、宇治から帰京する浮舟の母は、 「たとえあなたが、遠い武生の国府のような所へ行ってしまったとしても、こっそりとお伺いしましょう・・・」 と浮舟を慰めている。 手習の巻では、浮舟を救った横川の僧都の母・大尼君が 「たけふ、ちちりちちり、たりたむな」 と口ずさんでいる。 紫式部公園は、紫式部が越前国に下向したことを記念して整備された公園で、平安朝式庭園が再現されている。 |
紫式部公園には、十二単衣をまとった金色の紫式部像が置かれている。 |
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