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秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)は、紫式部の『源氏物語』の登場人物。 光源氏の愛人だった六条御息所の娘。 父は桐壺帝の弟。 伊勢神宮の斎王(斎宮)になったことから斎宮女御と呼ばれ、また、梅壺を局としたかことから梅壺女御とも呼ばれる。 |
桐壺帝が朱雀帝に譲位したことで伊勢神宮の斎王(斎宮)に選ばれ、母の六条御息所とともに伊勢へ赴く。 朱雀帝が冷泉帝に譲位したことで帰京するが・・・ 六条御息所は病気となり、光源氏に斎宮の後事を託すこととし、男女の仲としての世話はないよう釘を刺した上で亡くなっている。 |
斎宮邸は、斎王(斎宮)の居所で、西京高校がその跡地の一つとされている。 |
野宮神社は、伊勢神宮に仕える斎王(斎宮)が伊勢に赴く前に身を清めたという「野宮」の地に鎮座する社。 『源氏物語』の舞台とされている。 |
大極殿は、平安京の大内裏(平安宮・宮城)にあった朝堂院の正殿。 伊勢神宮に奉仕する斎王(斎宮)は、伊勢に赴く際、大極殿で天皇から「別れの御櫛」を挿してもらったのだという。 朱雀帝は、伊勢に赴く斎宮と宮中で対面して一目惚れし、斎宮が伊勢から帰ってくると妃にと望むが、六条御息所の反対で叶わなかった。 |
『伊勢物語』で斎宮の女房と勅使の男が詠んだ歌と、『源氏物語』で六条御息所と光源氏が詠んだ歌。 |
ちはやぶる 神の斎垣~伊勢物語と源氏物語の歌~ |
光源氏の養女となった斎宮女御は、冷泉帝に入内。 冷泉帝より9歳年上であったが、趣味が絵であったことで冷泉帝に寵愛された。 すると、先に入内していた権中納言(もとの頭中将)の娘・弘徽殿女御も絵を集めて帝の気をひくようになり、集まった絵を批評しあう絵合が行われることになったが・・・ 光源氏の須磨の絵日記を出した斎宮女御の勝利に終わっている。 その後、斎宮女御は中宮となり、光源氏は太政大臣に。 光源氏の死後は、冷泉帝とともに遺児の薫に目をかけている。 |
※ | 秋好中宮は、言い寄って近寄る光源氏を嫌っていた。 |
※ | 薫は光源氏の子ではなく、正室・女三宮と柏木の不義の子。 |
平安宮(大内裏)の凝花舎は、庭に梅が植えられていたことから「梅壺」と呼ばれ、『源氏物語』では秋好中宮が居所としている。 |
六条院は、六条京極にあった六条御息所の屋敷を拡充したものだった。 秋好中宮の里邸となり、中宮は秋の町の主となった。 春の町には紫の上、夏の町には花散里、冬の町には明石の君を住まわせている。 |
秋好中宮は、光源氏の正妻格の紫の上とも良好な関係を築き、光源氏の一人娘で紫の上の養女となっていた明石の姫君の裳着で腰結役を務めている。 |
風俗博物館~道長の栄華・彰子に仕えた紫式部・源氏物語~ |
『源氏物語』で宇治を舞台に描かれた「宇治十帖」は、光源氏の次男の薫と孫の匂宮、 そして、 光源氏の異母弟・八の宮の娘たち大君・中の君・浮舟の悲しい恋の物語。 |
我が子ならぬ我が子(薫)を抱く光源氏。 薫は、継室・女三宮と柏木との不義の子。 紫式部の泉は、『源氏物語絵巻』の3場面をモチーフにつくられた噴水。 冷泉帝と秋好中宮が可愛がっていた薫は、やがて八の宮の長女・大君に恋をする。 そして、八の宮に仕えていた弁の尼から出生の秘密を明かされる。 |
慕っていた大君を亡くした薫は、中の君から大君に生き写しの浮舟の存在を明かされる。 浮舟を宇治に囲っていたが、匂宮が強引に浮舟を我がものにしてしまう。 「匂宮と浮舟の像」は、匂宮が雪をおかして宇治へ向かい、小舟で宇治川を漕ぎ出し、浮舟に永遠の愛を誓う場面をモチーフにしたもの。 『源氏物語』は、薫と匂宮の間で進退きわまった浮舟が出家したことで幕切れとなる。 |
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