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陽成上皇が御所とした邸宅跡。 『源氏物語』では、光源氏の母・桐壺更衣の里邸で、元服した光源氏が伝領した二条院の候補地とされている。 葵の上と結婚した後に改装された二条院には、故按察大納言邸から藤壺の姪の紫の上が迎え入れられた。 また、光源氏の明石時代の愛人・明石の君との間に生まれた明石の姫君は、紫の上の養女として二条院に迎えられている。 その他、末摘花・花散里・空蝉も二条院で暮らしていた。 二条院の南は、光源氏の継室・女三宮の御所で、次男の薫も住んでいたらしい。 「宇治十帖」では、光源氏の孫・匂宮が中の君を迎え入れ、浮舟が二条院に預けられている。 参考までに・・・ 『源氏物語』が書かれた頃、この辺りには藤原道長の二条殿があったのだという。 |
大堰の邸は、明石の君が上京したときに住んだ邸宅。 娘の明石の姫君は二条院に迎え入れられたが、明石の君は大堰の邸に留まり、姫君が入内するまで会うことはなかった。 |
やがて光源氏は、六条院を新造し、主だった夫人たちと子女を住まわせた。 |
京都市中京区東夷川町 |
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