|
中山寺は、聖徳太子が建立したという日本最初の観音霊場。 仲哀天皇と先后大中姫と、その子の麛坂皇子・忍熊皇子の追善供養のため、あるいは、蘇我馬子と聖徳太子に敗れた物部守屋の霊を鎮めるために建立されたと伝えられている。 往時は、比叡山や高野山に匹敵する大寺院だったのだという。 皇族や貴族の信仰を集め、源頼朝をはじめとする武家にも信仰された。 豊臣秀吉は中山寺に祈願して秀頼を授かったのだという。 本尊は十一面観音菩薩。 正式名称は紫雲山中山寺。 真言宗中山寺派の大本山。 西国三十三所第24番札所。 |
観音信者だった源頼朝~守り本尊は清水寺から授かった正(聖)観音像~ |
多田行綱は、源満仲より数えて八代目に当たる多田源氏嫡流。 不信心だった行綱の妻は、中山寺の観音菩薩に鐘の緒(鰐口を鳴らす綱)で戒められたのだと伝えられる。 それから行綱夫婦は仲睦まじくになったことから、子授かり・安産祈願の信仰が生まれたのだという。 |
西国観音霊場巡礼の開祖は、大和国長谷寺を開いた徳道。 718年(養老2年)、病の徳道が生死をさまよっていると、閻魔大王が夢の中に現れ、悩める人々を救うよう告げられ、観音霊場三十三ヶ所の宝印を授けられた。 しかし、人々に信じてもらうことが出来ず、仕方なく宝印を摂津国の中山寺の石棺に納めたのだという。 |
それから約270年後、花山法皇はその石棺を探し出し、三十三の観音霊場を巡礼。 そのため、花山法皇は西国観音霊場三十三所の中興の祖と呼ばれている。 西国三十三所の御詠歌は、花山法皇が巡礼の際に木の短冊にしたためた和歌なのだとか。 中山寺の御詠歌「野をもすぎ 里をもゆきて 中山の 寺へ参るは 後の世のため」も花山法皇が詠んだ歌。 |
大和国長谷寺 |
法起院 |
大和国長谷寺は、東大寺開山の良弁の弟子・徳道を開山とする観音霊場。 法起院は長谷寺の塔頭で徳道を祀っている。 |
花山院菩提寺 |
花山法皇廟 |
花山院菩提寺は花山法皇が隠棲した地で、境内には花山法皇の御廟がある。 |
護摩堂 |
開山堂 |
五百羅漢堂 |
閻魔堂 |
大師堂 |
福神社 |
大願塔 |
阿弥陀堂 |
花山天皇は、986年( 寛和2年)6月23日、藤原兼家・道兼父子の策略により、京都山科の元慶寺で出家した。 |
兵庫県宝塚市中山寺2-11-1 阪急電鉄宝塚本線「中山観音駅」下車すぐ JR宝塚線「中山駅」から徒歩15分 |
大きい地図を見るには・・・ 右上のフルスクリーンをクリック。 |
|