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花山天皇(かざんてんのう)は、984年(永観2年)、円融天皇の譲位によって即位するが・・・ 985年( 寛和元年)、寵愛していた女御の藤原忯子が急死したことで、供養のため出家を考えるようになる。 そこへ動いたのが娘の藤原詮子が産んだ懐仁親王(一条天皇)を皇位につけたい藤原兼家。 兼家は三男・道兼に出家を勧めさせ、986年( 寛和2年)6月23日、京都山科の元慶寺で出家させられてしまう(寛和の変)。 出家後、大和国長谷寺を開いた徳道が閻魔大王から授かった観音霊場三十三ヶ所の宝印を納めたとういう石棺を摂津国の中山寺で探し出し、三十三の観音霊場を巡礼。 西国三十三所の御詠歌は、花山法皇が巡礼の際に木の短冊にしたためた和歌なのだという。 菩提寺の御詠歌「有馬富士ふもとの霧は海に似て 波かときけば小野の松風」も花山法皇が詠んだ歌。 晩年は菩提寺に隠棲していた花山法皇は、1008年(寛弘5年)2月8日、京都の花山院で崩御(41歳)。 紙屋川上陵に葬られた。 菩提寺の廟所は、後世の人によって建てられたもの。 |
花山天皇が出家した元慶寺は、868年(貞観10年)、藤原高子の発願により遍昭が開いた寺院。 |
花山天皇の退位を知っていた安倍晴明~寛和の変~ |
出家した花山天皇は、花山院を御所とした。 |
花山法皇は、法音寺の北に葬られたのだという。 |
兵庫県三田市尼寺352 三田駅北口から 乙原バレー行または母子行バス 「花山院」下車 徒歩20分 |
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