|
花山院は、花山天皇の退位後の御所。 もともとは、太政大臣・藤原冬嗣の邸宅・小一条院(小一条殿)がこの地にあった。 小一条院は、次男の良房に伝えられ、良房の娘で文徳天皇の后となった明子は、この邸宅で清和天皇を産んでいる。 その後、清和天皇の皇子・貞保親王邸となるが、関白・藤原忠平が伝領すると花山院として整備され・・・ 師尹(忠平の五男)、師輔(忠平の次男)、安子(師輔の長女・村上天皇の中宮)へと引き継がれた。 安子が産んだ憲平親王(後の冷泉天皇)の立太子礼は花山院で行われている。 そして、冷泉天皇の子で元慶寺で出家した花山法皇が御所とし、崩御するまでここで過ごした。 その後、三条天皇の皇后・藤原娍子、藤原頼通・師実・家忠へと引き継がれ、家忠は花山院左大臣と呼ばれ花山院家の祖となっている。 |
花山天皇は、寵愛していた藤原忯子の死をきっかけに、986年( 寛和2年)6月23日、藤原兼家・道兼父子の策略にあって、山科の元慶寺で出家した。 |
寛和の変~藤原兼家の政変・花山天皇の出家~ 花山天皇の退位を知っていた安倍晴明~寛和の変~ 長徳の変~藤原伊周・隆家兄弟、花山法皇を射る!~ |
中山寺 (宝塚市) |
石の櫃 (中山寺の石棺) |
出家後は法皇となり、西国観音霊場巡礼の開祖・徳道が中山寺の石棺(石の櫃)に納めた宝印を探し出し、三十三の観音霊場を巡礼。 西国観音霊場三十三所の中興の祖と呼ばれている。 |
花山院菩提寺 (三田市) |
花山法皇廟 (三田市) |
花山院菩提寺は花山法皇が隠棲した地で、境内には花山法皇の御廟がある。 |
花山法皇は、法音寺の北に葬られた。 |
法音寺は、花山天皇(花山法皇)の勅願寺。 「山城名勝志」によると、法音寺は大北山の施無畏寺跡の南にあったのだという。 |
花山院は、南北朝時代に後醍醐天皇が幽閉されたことでも知られている。 建武の新政の崩壊後、幽閉されていた花山院を脱出した後醍醐天皇は、密に吉野へ行幸。 自ら主宰する朝廷を開いたことにより、京都朝廷(北朝)と吉野朝廷(南朝)が並立する南北朝時代が始まった。 |
宗像神社は、藤原冬嗣が桓武天皇の命により、平安京の守護神として筑前国の宗像神社を勧請した社。 |
花山稲荷大明神は宗像神社の境内社で、藤原忠平が伏見稲荷を勧請して創建。 |
花山院は、京都御所の南(現在の京都御苑敷地内)にあった。 |
京都市上京区京都御苑3 京都御所は地下鉄烏丸線「今出川駅」より徒歩5分 花山院跡は地下鉄烏丸線「丸太町駅」より徒歩5分 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|