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法起院(ほうきいん)は、長谷寺の塔頭。 726年(天平7年)、長谷寺開山の徳道が創建。 本尊は徳道。 徳道は播磨国出身の僧で、東大寺開山の良弁(道明とも)を師とし、聖武天皇の勅命により初瀬の地に観音堂を建て、十一面観音を安置。 西国観音霊場巡礼の開祖ともいわれ、仮死状態となった際に地獄で閻魔大王のお告げを受けて三十三所を定めたのだと伝えられる。 法起院は西国巡礼番外札所。 1695年(元禄8年)に再建され、長谷寺塔頭開山堂として現在に至っている。 |
徳道は晩年、境内の松の木に登り法起菩薩となって遷化したのだという。 十三重石塔は徳道の廟所と伝えられる。 |
鎌倉の長谷寺に伝えられる「長谷寺縁起絵巻」は、大和国長谷寺の草創と十一面観音造立の由来を描いたもの。 開基の藤原房前の援助を受けて徳道が十一面観音を造立し、行基によって開眼供養が行われたことなどが描かれている。 |
伝説によると・・・ 徳道が造立した十一面観音像は二体。 一体は大和国の長谷寺に置かれ、もう一体は海に流されて相模国の三浦半島に流れ着き、鎌倉に運ばれたのだという。 |
鎌倉長谷寺 |
観音堂 |
鎌倉の長谷寺は、736年(天平8年)の開創と伝えられ、開基は藤原房前、開山は徳道。 観音堂には大和国長谷寺の十一面観音と同じ長谷寺式十一面観音が安置されている。 |
紫式部ゆかりの京都大雲寺の本尊は行基作と伝わる十一面観音。 大和国長谷寺や鎌倉長谷寺の十一面観音像と同じ霊木で造立されたのだという。 |
伝説によると・・・ 718年(養老2年)、徳道は中山寺の石棺の中に閻魔大王から授けられた宝印を納めた。 そして、約270年後、花山法皇はその石棺を探し出し、三十三の観音霊場を巡礼。 そのため、西国観音霊場三十三所の中興の祖と呼ばれるようになったのだという。 |
中山寺 (宝塚市) |
石の櫃 (中山寺の石棺) |
中山寺は源頼朝も信仰した我が国初の観音霊場。 宝印が納められた石棺は白鳥塚古墳の石の櫃。 |
花山院菩提寺 (三田市) |
花山法皇廟 (三田市) |
花山院菩提寺は花山法皇が隠棲した地で、境内には花山法皇の御廟がある。 |
奈良県桜井市初瀬776 近鉄大阪線「長谷寺駅」下車 徒歩15分 |
奈良県桜井市初瀬731−1 近鉄大阪線「長谷寺駅」下車 徒歩15から20分 |
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