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恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁才天(弁財天)・福禄寿・寿老人・布袋尊の七人の福神が「七福神」。 七福神信仰の歴史はよくわかっていないようですが・・・ 最澄が比叡山に大黒天を祀り、その信仰が民間にも広まると恵比寿信仰と結びついて「二福神」として祀られるようになったのが始まりなのだとか・・・。 |
本尊は最澄が彫ったという三面出世大黒天(三面六臂大黒天)で、大黒天と毘沙門天と弁財天が一体になった姿。 |
北向蛭子神社は、八坂神社にある社で祇園のえべっさんと呼ばれています。 「商売繁昌で笹もってこい!」の「えべっさん」は、八坂神社が原点。 |
その後、「二福神」は、弁財天信仰、毘沙門天信仰とも結びつきます。 |
東大寺法華堂の弁財天像は、天平時代のもので日本最古といわれています。 |
幼少期の源義経が暮らした鞍馬寺は毘沙門天信仰発祥の地。 源頼朝は上洛した時に鞍馬寺から毘沙門天を賜り、鎌倉の守護神として祀ったのだと伝えられています。 |
鎌倉の白山神社は、源頼朝が鞍馬寺から賜った毘沙門天を祀るために建てた毘沙門堂を前身とする社。 |
室町時代に入って禅宗が盛んになると「竹林の七賢人」に倣って「七福神」が成立したのだといいます。
「竹林の七賢人」とは、中国・魏の時代に、竹林に集まって交遊した七人のこと。 七福神信仰が始まったといわれる室町時代末は東山文化の時代。 中国の影響を受けて「竹林の七賢人」の水墨画が多く描かれていたようです。 人々は信仰していた7つの福神を「竹林の七賢人」に倣って「七福神」としたのだとか・・・ ただ、この頃には七福神のメンバーは固定されていなかったようですが。 |
銀閣寺の正式名称は「慈照寺」。 室町幕府八代将軍の足利義政の山荘「東山殿」が慈照寺の始まり。 観音殿(銀閣)は東山文化を代表する建物です。 |
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