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宝珠院(ほうしゅいん)は、第三十五世了堂素安(りょうどうそあん)の塔所。 本尊は釈迦如来。 了堂素安は、円覚寺で西澗子曇(せいかんすどん)に学び、東勝寺、壽福寺を経て建長寺に入った。 本尊の地蔵菩薩が盗難にあったため、現在の本尊は、天源院と龍源院が合併したときに天源院から譲り受けたもの。 作家葛西善蔵は1919年(大正8年)から4年間、庫裏の一室に寄宿して『おせい』などの代表作を書いた。 1607年(慶長12年)頃、長谷観音は宝珠院によって管理されていたのだという。 |
作家葛西善蔵が宝珠院で暮らした際、三度の食事や晩酌の相手をしたのが招寿軒の娘浅見ハナ。小説『おせい』は、ハナがモデルとなった。 回春院に善蔵の墓がある。 |
作家葛西善蔵と鎌倉(okadoのブログ) |
1923年(大正12年)に発生した関東大震災時を宝珠院で体験した葛西善蔵は、「崖崩れの音、建物の倒れる音、人々の叫び声、とにかくこの世の騒ぎとは思われなかった」と『震災記』に書いている。 震災後東京へ移った。 |
かつて長谷寺は宝珠院の支配下にあったといわれ、室町時代前半の作と推測される開山徳道の肖像彫刻は、禅文化展開の一側面を今に伝えるもの。 |
禅宗では、高僧の塔があるところを塔頭という。 建長寺の塔頭は、その繁栄時には49院を数えたが、現在は12の塔頭が残っている。 |
建長寺は、五代執権北条時頼が宋の蘭渓道隆を招いて開いた日本で初めての「禅専門道場」。 臨済宗建長寺派大本山。 鎌倉五山の第一位。 |
鎌倉市山ノ内8 0467(22)0981 JR北鎌倉駅から徒歩15分 |
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