|
鎌倉長谷寺の十一面観音像は、721年(養老5年)、徳道の願いによって彫られた二体の観音像のうちの一つ。 一体は奈良の長谷寺に安置されたが、もう一体は有縁の地で人々を救うようにと、行基によって海に投げ入れられたのだという。 それから15年後、体に付着した「かきがら」の導きで、三浦半島の長井の浦に流れ着いた観音像。 間もなく鎌倉に移されたのだと伝えられている。 鐘楼横の「かきがら稲荷」は、「観音さまのお導きがあるように」と祀られたもの。 |
かきがら稲荷の横には、たくさんの「かきがら絵馬」。 |
近江国の白蓮華谷には、大きな楠の倒木がありました。 その倒木が洪水で大津の郷に流れ着きます。 そして、里の人たちに祟りを及ぼします。 その木を譲り受けたのが徳道というお坊さん。 徳道は倒木を持ち帰り、 稽文会(けいもんえ)と稽主勲(けいしゅくん)という二人の仏師に仏像を彫ってもらいました。 そして、3日で二体の観音像が造立されました。 一体は大和国の長谷寺へ、 もう一体は 「有縁の地に出現して人々を救いたまえ」 ということで海に流されました。 観音像は牡蠣殻(かきがら)に導かれて流れて行きます。 そして、三浦半島の長井の浜に漂着。 村人たちは仮屋をつくって観音様を安置します。 その場所は今でも仮屋ヶ崎という地名として残っています。 やがて観音様は鎌倉へと移されます。 それが長谷寺の本尊・十一面観音像。 |
十一面観音像の伝説・・・かきがら稲荷 鎌倉の観音霊場巡り 伝説の観音さまと四万六千日詣り |
736年(天平8年)の開創と伝えられる古寺。 本尊の十一面観音は木造では日本最大級の仏像で、坂東札所の第4番。 |
鎌倉市長谷3−11−2 0467(22)6300 江ノ電「長谷駅」から徒歩5分 |
大きい地図を見るには・・・ 右上のフルスクリーンをクリック。 |
|