紫式部「光る君へ」


藤原彰子の歌
~撫子を手に取る
幼い我が子を見て詠んだ歌~


編集:yoritomo-japan.com








なでしこ



 見るままに
 露ぞこぼるる
 おくれにし
 心もしらぬ
 なでしこの花


 「我が子の姿を見ていると涙がこぼれます。父が亡くなってしまったことも理解できずに撫子の花を手に取る我が子」

 この歌は、藤原彰子一条天皇の崩御後に、幼い敦成親王(のちの後一条天皇)が父に先立たれたことも知らずに撫子の花を手に取っている姿を見て詠んだというもの。

 花の撫子に撫育した(可愛がって育てた)我が子を懸けている。





京都御苑:枇杷殿跡
リンクボタン枇杷殿跡

 一条天皇が崩御した後、中宮藤原彰子枇杷殿に移り、翌年、皇太后となっている。

 皇太后となった彰子のもとには、藤原道長の批判者だった藤原実資がたびたび伺候していたのだという。

 その取次役が紫式部だった。



清水寺
リンクボタン清水寺

 紫式部は、1014年(長和3年)正月、皇太后藤原彰子の病気快復を願って清水寺を参っている。

 この頃には彰子付の女房を退いていたという説がある。

 また、藤原実資彰子に取り次いだことで藤原道長から宮中を追放されていたという説も。



リンクボタン藤原彰子と藤原実資を取次役を務めた紫式部


(参考)
リンクボタン紫式部の歌~清水寺で出会った伊勢大輔との贈答歌(伊勢大輔集)~




紫式部の歌










紫式部


紫式部と越前国


源氏物語 光源氏


紫式部の京都 平安宮~源氏物語ゆかりの地~


琵琶湖で紫式部・源氏物語 源氏物語~須磨・明石~


宇治十帖~紫式部『源氏物語』~ 源融・藤原実方ゆかりの陸奥国


紫式部年表



藤原道長


藤原彰子



紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~



葵祭

祇園祭

時代祭




紫式部・源氏物語・光る君へ
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。