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見るままに 露ぞこぼるる おくれにし 心もしらぬ なでしこの花 |
「我が子の姿を見ていると涙がこぼれます。父が亡くなってしまったことも理解できずに撫子の花を手に取る我が子」 この歌は、藤原彰子が一条天皇の崩御後に、幼い敦成親王(のちの後一条天皇)が父に先立たれたことも知らずに撫子の花を手に取っている姿を見て詠んだというもの。 花の撫子に撫育した(可愛がって育てた)我が子を懸けている。 |
一条天皇が崩御した後、中宮藤原彰子は枇杷殿に移り、翌年、皇太后となっている。 皇太后となった彰子のもとには、藤原道長の批判者だった藤原実資がたびたび伺候していたのだという。 その取次役が紫式部だった。 |
紫式部は、1014年(長和3年)正月、皇太后藤原彰子の病気快復を願って清水寺を参っている。 この頃には彰子付の女房を退いていたという説がある。 また、藤原実資を彰子に取り次いだことで藤原道長から宮中を追放されていたという説も。 |
藤原彰子と藤原実資を取次役を務めた紫式部 |
紫式部の歌~清水寺で出会った伊勢大輔との贈答歌(伊勢大輔集)~ |
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