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心ざし 君にかかぐる 燈火の おなじ光に あふがうれしき |
「同じ思いで上東門院のために同じ燈火を奉り、一緒に病気快復を祈願できたのはうれしいことです」 この歌は、藤原彰子の病気快復を祈願するために参った清水寺で、偶然に出会った伊勢大輔に、樒の葉に付けた紙に書いて贈ったもの。 伊勢大輔は、彰子に仕えていた女房。 二人が清水寺に参ったのは、1014年(長和3年)正月の事と考えられ、藤原実資の『小右記』にも重篤な病だったことが記されている。 また、この頃、紫式部は彰子付きの女房を退いていたという説がある。 |
古の 契りもうれし 君がため おなじ光に 影をならべて |
「上東門院のために同じ御燈火の光で、二人が影を並べて病気快復を祈願できたことは、前世からの縁があったことだとうれしく思います」 伊勢大輔の返歌。 |
奥山の 松ばにこほる 雪よりも 我が身よにふる 程ぞはかなき |
「深山の松の葉の雪はやがて消えますが、わたしがこの世に生きている時間は、その雪よりもはかないもの」 紫式部が松に雪が凍りついたものに付けて贈った歌。 紫式部が亡くなった時期には諸説あるが、清水寺に参った年に亡くなったとする説がある。 |
消えやすき 露の命に くらぶれば げにとどこほる 松の雪かな |
「簡単に消えてしまう露のような命に比べると、雪は松の葉の上でしばらくの間は凍っているのですね」 伊勢大輔の返歌。 |
紫式部の没年と源氏物語~准太上天皇となった光源氏と敦明親王~ |
清水寺は、紫式部をはじめ、清少納言・菅原孝標女・赤染衛門などの女流文学者が信仰した寺。 |
藤原彰子と藤原実資を取次役を務めた紫式部 藤原彰子の歌~撫子を手に取る幼い我が子を見て詠んだ歌~ |
紫式部の没年は不明だが、その晩年は生まれ育った紫野の雲林院百毫院で過ごしたのだという。 紫野には紫式部の墓がある。 |
紫式部の没年と源氏物語~准太上天皇となった光源氏と敦明親王~ |
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