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めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな |
『百人一首』・『新古今和歌集』に載せられた紫式部の歌。 「久々にめぐり会ったと思ったのに・・・ 見たのがあなたかどうかも分からない間に帰ってしまった。 雲に隠れてしまった夜半の月のように」 7月10日初秋 紫式部は、地方から帰京していた幼い頃からの友に偶然に出逢ったのだが・・・ はっきりと確認することができないまま、友は早く沈んでしまう初秋の月と競うように帰ってしまったらしい。 上の画像は嵯峨嵐山にある小倉百人一首文芸苑の歌碑。 |
廬山寺の歌碑には、この歌とともに娘の大弐三位(藤原賢子)の歌も刻まれている。 |
歌碑が建てられている廬山寺は、紫式部の邸跡。 |
鳴きよわる まがきの虫も とめがたき 秋のわかれや 悲しかるらむ |
「籬(垣根)の虫の鳴き声も弱弱しく、秋と別れる季節となって悲しいのだろう」 この歌は、7月に久々に出逢った友が、秋も終わる頃、また遠いところへ行ってしまうのに、引き留めることもできないという心情を詠んだもの。 |
幼い頃からの友が誰なのかは不明だが、昌子内親王に仕えたころの友ではないかという説がある(与謝野晶子説)。 昌子内親王は朱雀天皇の皇女で冷泉天皇の皇后宮。 973年(天禄4年)に皇太后、986年(寛和2年)に太皇太后となる。 昌子内親王は、『源氏物語』の登場人物・藤壺のモデルともいわれる。 参考までに、986年(寛和2年)、紫式部の伯父・藤原為頼は太皇太后宮大進として昌子内親王に仕えている。 |
大雲寺は観音霊場として繁栄した寺で、円融天皇の勅願寺となり、昌子内親王は観音堂を創建している。 開基の藤原文範は紫式部の曾祖父(母。為信女の祖父) 『源氏物語』(若紫の巻)で、光源氏と紫の上が出会った北山の「なにがし寺」は、大雲寺がモデルともいわれる。 |
近江神宮は、近江大津宮跡に建てられた天智天皇を祀る社。 天智天皇が詠んだ歌が『百人一首』の一番歌となっていることから「かるたの聖地」と呼ばれている。 |
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