鎌倉手帳(寺社散策)

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宇都宮頼綱と小倉百人一首

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百人一首
「いらすとや」より


 宇都宮頼綱は、下野宇都宮氏の五代当主。

 1205年(元久2年)、姑の牧の方北条時政の後妻)が起こし牧氏の変で謀反を疑われてしまった頼綱は、政争に巻き込まれるのを避けて出家。

 実信房蓮生と名乗った。

 その後、法然の門下となって、京都嵯峨の二尊院近くに山荘を営んだ。

 歌人の藤原定家と親交をもち、子為家に娘を嫁がせている。





〜障子の色紙と小倉百人一首〜

 1235年(嘉禎元年)5月、頼綱は、定家に山荘の障子を装飾するための色紙の執筆を依頼。

 それに応じた定家は、天智天皇から順徳院までの100人の歌人の和歌を一首ずつ選び、年代順に色紙にしたためた。

 これが『小倉百人一首』の原型といわれ、後に鳥羽、順徳両天皇の作品が加えられて補訂を施された和歌集が『小倉百人一首』なのだとか。





〜二荒山神社の障子歌も〜


宇都宮二荒山神社
リンクボタン二荒山神社
(宇都宮市)

 二荒山神社にも、藤原定家から襖を飾る障子歌が贈られたのだという。





〜頼綱の墓碑がある寺〜

清巌寺
リンクボタン清巌寺
(宇都宮市)

 清巌寺は、頼綱の念仏堂を起源とする寺院。





〜かるたの聖地〜

近江神宮
リンクボタン近江神宮
(大津市)

 『百人一首』の一番歌は天智天皇の

 「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」

 近江神宮は天智天皇を祀ることから「かるたの聖地」と呼ばれている。









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