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洪鐘祭:円覚寺弁財天祭礼


編集:yoritomo-japan.com









 2023年10月29日(日)60年に一度の円覚寺弁財天の祭礼「洪鐘祭」が行われました。

令和の洪鐘祭 祭礼行列 2023/10/29





円覚寺洪鐘祭
リンクボタン「円覚寺洪鐘祭絵巻」
(明治35年)


 円覚寺の国宝「洪鐘」は、九代執権北条貞時が七日七夜江の島弁財天に参籠して鋳造が成功したというもの。

 貞時は、洪鐘鋳造の成功に感謝して円覚寺に弁天堂を建立し、江の島弘法大師が刻んだと伝えられる弁財天を円覚寺の鎮守として祀ったのだという。

 そのため、江の島の弁財天と円覚寺の弁財天は夫婦弁天と呼ばれ、61年目ごと(60年に一度)に行われる「洪鐘祭」(おおがねまつり)で出会うことになっている。

 江の島でも60年に一度の「巳年式年祭」が行われているが、洪鐘祭との関係は不明。

 前回の「巳年式年祭」は1989年(平成元年)に行われている。



江の島弁財天





〜洪鐘祭は宇賀弁財天の祭礼〜

 円覚寺洪鐘弁天堂に祀られている弁財天は、人頭蛇身の姿で宇賀神と習合した弁財天。

 この宇賀弁財天の祭礼は、1480年(文明12年)以来、61年目ごと(60年に一度)に行われてきたのだという。

 ただし、凶作などの事情により延期された年もあるので、単純に1480年から60年をプラスした年毎に行われているとは限らない。





〜庚子年の開催が多かった洪鐘祭〜

 洪鐘祭は庚子年(かのえね・こうし)に行われることが多く、江戸時代最後の祭礼は庚子年の1840年(天保11年)に行われ、次の明治時代の祭礼も庚子年の1900年(明治33年)に行われる予定だったが1年延期された。

 前回の昭和の祭礼は1960年(昭和35年)の庚子年に行われる予定だったようだが5年延期されて1965年(昭和40年)に開催されている。



次回の洪鐘祭は・・・
2023年(令和5年)10月29日

 2020年(令和2年)、庚子年の10月17日(土)・18日(日)に開催予定だった洪鐘祭。

 新型コロナウイルス感染拡大防止のため延期となっていましたが、2023年(令和5年)10月29日(日)に開催の予定。

 当日は、9:20から建長寺で出発イベントが行われ、小袋谷交差点で本隊と合流し、最大300mになる行列が小袋谷交差点→円覚寺をパレード。

 本隊のパレードの時間は10:30〜11:45。

 雨天決行。



令和の洪鐘祭 祭礼行列 2023/10/29



円覚寺洪鐘祭 円覚寺洪鐘祭





洪鐘祭 祭礼行列
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。










1840年(天保11年)の祭礼


〜八雲神社の面掛行列の面〜

 洪鐘祭の祭礼行列には、毎回、面掛行列も加わってきた。

 1840年(天保11年)の祭礼行列では、八雲神社(山ノ内)から天保11年銘のある面を借りている。

 この面は坂ノ下の御霊神社面掛行列の面を模したもので、洪鐘祭のために約40年振りに作り替えられたのだとか。

 天保11年の祭礼は旧暦の8月に行われている。

 参考までに、天保11年の前は1780年(安永9年)8月に行われたらしい。



八雲神社例大祭(山ノ内) 八雲神社例大祭(山ノ内)
面掛行列の面
(参考:リンクボタン八雲神社例大祭



八雲神社例大祭(山ノ内)
リンクボタン面掛行列
(「円覚寺洪鐘祭絵巻」(明治35年))

 八雲神社の面掛行列は、江戸時代以来、例大祭で行われてきたが、1965年(昭和40年)の洪鐘祭を最後に絶えたのだという。


 リンクボタン令和の洪鐘祭で復活



面掛行列
リンクボタン面掛行列

(御霊神社)



八雲神社例大祭
リンクボタン八雲神社例大祭

 7月に行われる例大祭(神幸祭)は、八雲神社と山崎八雲神社(北野神社)の神輿と合流する行合祭。 




〜鶴岡八幡宮の八乙女の舞〜

八乙女の舞
リンクボタン八乙女の舞

 天保11年の祭礼では、鶴岡八幡宮の放生会で舞楽を奉する伶人や、八乙女の舞を奉仕する児子も加わっていたのだという。

 鶴岡八幡宮の放生会は旧暦8月15日。

 円覚寺の洪鐘祭と鶴岡八幡宮祭礼とは何か関係があったのかもしれない。

 参考までに、円覚寺開山の無学祖元は鶴岡八幡宮の神に守護されて来日したという伝説が残されている。

 リンクボタン木造仏光国師坐像
 (無学祖元と八幡神の伝説)



鶴岡八幡宮例大祭
リンクボタン鶴岡八幡宮例大祭





1901年(明治34年)の祭礼


 前回の祭礼から60年後は1900年(明治33年)。

 しかし、この年は農産物が不作だったことから1年延期され、祭礼も旧暦の8月から新暦の4月に改められ、4月1日〜3日の3日間で行われた。

 祭礼行列の洪鐘は模造で本物より大きかったのだという。

 1902年(明治35年)には「洪鐘祭絵巻」が完成。

 円覚寺には1840年(天保11年)の祭礼の様子を描いた絵巻(1841年(天正12年)も伝えられ、11月の宝物風入で拝観することができる(鎌倉市有形民俗資料)。



円覚寺洪鐘祭
リンクボタン弁財天神輿
(「円覚寺洪鐘祭絵巻」(明治35年))

 弁財天神輿は、円覚寺弁財天の御神体を遷した八雲神社の神輿。





1965年(昭和40年)の祭礼


 昭和の洪鐘祭は、庚子年に行われるとすれば1960年(昭和35年)のはずだが、5年間後の1965年(昭和40年)4月8日、9日に行われた。

 8日のお逮夜では御詠歌の奉納と郷土民謡踊りが披露され、9日には江島神社江の島弁財天を奉持して参加し、仏殿では、本山、末寺の僧侶80名による大法要が営まれた。

 大法要後の祭礼行列は、神奈川県警察音楽隊の先導で、木遣や稚児などの行列が進み、行列中央には模型の洪鐘が曳行され、約1000人が参加し、総動員数は約2000人だったのだという。

 明治期までの祭礼行列は江の島まで続いたそうだが、昭和40年の洪鐘祭はかなり簡素なものとなり、鎌倉市大船支所前を出発し建長寺まで行進したらしい。

 洪鐘祭絵巻を見たことのある方は、絵巻のような行列があると期待してしまうかもしれないが、交通事情や住民の祭意識低下などから、次回の祭礼行列も縮小せざるを得ないのかもしれない。



〜5年の延期?その理由は・・・〜

 昭和の洪鐘祭が、何故40年になったのかは不明だが、35年当時、円覚寺には法要を営むための仏殿がなかったことも理由の一つなのかもしれない。

 円覚寺の仏殿は、1923年(大正12年)の関東大震災で倒潰し、洪鐘祭前年の1964年(昭和39年)に再建されている。

 さらに昭和40年は巳年。

 江島神社の弁財天大祭が60年に一度の己巳年(つちのとみ・きし)に行われることや、鎌倉の銭洗弁財天でも己巳日に参詣者が多いことでもわかるとおり、弁財天と巳が深い関係にあることも理由なのかもしれない。




円覚寺洪鐘
リンクボタン円覚寺の洪鐘



江島神社
リンクボタン江島神社
江の島弁財天
リンクボタン江の島弁財天


「円覚寺洪鐘祭絵巻」の画像は『円覚寺弁才天洪鐘祭附祭絵巻研究成果報告書』より。



円覚寺洪鐘祭絵巻



令和の洪鐘祭 祭礼行列 2023/10/29





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宝物風入 円覚寺舎利殿










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宝物風入





円覚寺
リンクボタン円覚寺

 円覚寺は、八代執権北条時宗が宋の禅僧無学祖元を招いて開かれた。
 臨済宗円覚寺派大本山。
 鎌倉五山の第二位。


鎌倉市山ノ内409
0467(22)0478

JR北鎌倉駅下車すぐ



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