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北野神社は、山崎天神とも呼ばれ、暦応年間(1338−1341)、夢窓疎石が京都の北野天満宮を勧請したものと伝えられ、鎮座する山は「天神山」と呼ばれている。 その後、1362年(貞治元年)、円覚寺塔頭黄梅院主によって再建され、村の鎮守となった。 江戸時代には「洲崎神社」とも呼ばれていたという。 (洲崎は現在の寺分・梶原・山崎・上町屋の古称。) 夢窓疎石は北野神社とともに宝積寺も建立。 本地仏として十一面観音像が安置されていたというが、明治の神仏分離によって昌清院に移された(円覚寺塔頭如意庵末寺)。 |
菅原道真(すがわらのみちざね) 素戔嗚命(すさのおのみこと) |
夏季例祭 | 7月15日(天王祭) ※八雲神社との行合祭 |
例祭 | 9月25日(鎌倉神楽) |
伝説によると・・・ 延宝年間(1673−1681)、柏尾川が氾濫して岩瀬の五所明神に祀られていた牛頭天王の神輿が山崎に流れ着いた。 村人がどうしたらよいか悩んでいると、「山崎にいたい」との神託があったことから北野神社に合祀されたのだという。 |
ゴズテンノウは祇園精舎の守護神で、スサノオと習合した神。 毎年7月、1ヶ月にわたって行なわれる京都の祇園祭は、ゴズテンノウを祀る祇園社(現在の八坂神社)の祭礼。 しかし、牛頭天王を祭神としていた神社は、明治の神仏分離によって、強制的に祭神を素戔嗚命に改められた。 |
八雲神社例大祭 7月の例祭(天王祭)は、八雲神社の神輿との行合祭。 天王とは牛頭天王のこと。 |
1405年(応永12年)の銘がある宝篋印塔で、市の重要文化財に指定されている。 宝積寺の僧教音によって建てられたといわれている。 四方に薬師如来(東方)、釈迦如来(南方)、阿弥陀如来(西方)、弥勒菩薩(北方)が浮彫りされている。 |
天神山の西、妙法寺の南には、「源頼朝のかくし湯」があったと伝えられ、明治時代には温泉旅館(鉱泉)もできて賑わっていたという。 そもそも、田んぼの水で足の治療をしていた雁がいたことから、傷を治してくれる水として広まったようである。 源頼朝が「この水が傷に効く」というので「お忍びで訪れた」という話や、「傷ついた武将に治療をさせた」という言い伝えから、「頼朝のかくし湯」と呼ばれたらしい。 |
昌清院は、円覚寺塔頭如意庵の末寺。 北野神社の本地仏「十一面観音像」が安置されている。 |
新田義貞の鎌倉攻めの際の古戦場。 義貞は堀口貞満と大島守之を州崎口に攻め込ませ、これを十六代執権赤橋(北条)守時が迎え撃った。 60回以上の合戦の末、鎌倉方は敗れ、守時はじめ90人以上が自刃したという。 |
鎌倉幕府滅亡の古戦場〜山崎と上町屋の散策〜(okadoのブログ) |
鎌倉市山崎736 大船駅東口よりバス 山崎下車徒歩5分 |
〜手広・笛田・梶原・寺分・上町屋・山崎の史跡巡り〜 |
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