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山崎の昌清院は、円覚寺塔頭如意庵の末寺。 本尊は釈迦如来。 開山は如意庵八世の以足徳満(いそくとくまん)といわれている。 その一方で、昌清院に伝わる如意庵開山の無礙妙謙(むげみょうけん)坐像の胎内銘に「当院開山」と記されているという。 北野神社(山崎天神社)に、本地仏として祀られていた春日の作と伝えられる「十一面観音像」は、昌清院に安置されている。 他に「地蔵菩薩像」、「十王像」、「倶生神像」、「奪衣婆像」を安置。 これらの像は、近くにあった十王堂に安置されていたものと考えられている(現在の「山崎の集会所」がある所に十王堂があったという。)。 「本尊釈迦如来坐像」は1775年(安永4年)の作、「奪衣婆像」は室町後期の作。 北野神社に祀られていたという「十一面観音立像」は貴重な金銅仏。 |
昌清院の山号は「山崎山」。以前は「長崎山」あるいは「諏訪山」などと号していたが、近年に改められた。 |
江戸時代の山崎の領主に、奥平氏の娘崇高院という人物がいて、自分の屋敷にあった門を小袋谷の成福寺に寄進したと伝えられている。 この人物がどのような人物なのかは定かではない。一説には駿河大納言忠長の妻ではないかともいわれている。忠長は高崎で自害させられたが、三代将軍家光が、忠長の妻に山崎の地を与えたともいわれている(参考:薬王寺)。 昌清院の近くには「お塔さま」と呼ばれる塔があって、崇高院の墓ではないかと伝えられている。 |
昌清院の横を通る道は、江ノ島参りの古道。 山崎の交差点から昌清院に向かうと今でも「従是江のし満」という石標がある。 昔は大いに賑わった道だったということが推測される。 近くには、陶芸家北大路魯山人の星岡窪があった。 |
鎌倉幕府滅亡の古戦場〜山崎と上町屋の散策〜 |
禅宗では、高僧の塔があるところを塔頭という。 円覚寺の塔頭は、その繁栄時には42院を数えたが、現在は19の塔頭が残されている。 |
〜手広・笛田・梶原・寺分・上町屋・山崎の史跡巡り〜 |
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