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山ノ内の八雲神社例大祭(天王祭)は、鎌倉の祇園祭。 神幸祭は、十王堂橋付近を出発した神輿が円覚寺・明月院・建長寺・浄智寺・東慶寺を巡った後、北鎌倉駅前で山崎八雲神社(北野神社)の神輿と合流する行合祭。 山ノ内は男神輿、山崎は女神輿。 北鎌倉駅前で行き合った2基の神輿は、光照寺付近の天王屋敷まで連れだって渡御。 天王屋敷では、「出会いの儀神事」が行われ、身籠もった山崎の神輿に腹帯が巻かれるという物語で祭が終了する。 |
2024年の神幸祭は・・・ 7月21日(日) |
7月14日(日) | 宮出し 9:30〜 |
7月17日(水) | 中日神事 19:30〜 (御仮屋) |
7月20日(土) | 宵宮神事 17:30〜 (御仮屋) 神輿渡御 17:50〜 |
7月21日(日) | 神輿渡御 11:50御仮屋出発 子供神輿 12:30 建長寺〜八雲神社 出会いの儀神事 天王屋敷で15:20頃から 宮入り 16:30 |
八雲神社は、京都の祇園社(現在の八坂神社)を勧請して創建された神社。 当時の祇園社の祭神は牛頭天王(ゴズテンノウ)。 北野神社は、京都の北野天満宮が勧請された菅原道真を祀る社ですが、江戸時代にはゴズテンノウも合祀されました。 ゴズテンノウは祇園精舎の守護神といわれ、スサノオと習合した神。 明治の神仏分離によってゴズテンノウを祭神とする神社は、強制的に祭神をスサノオに改められたようです。 八雲神社と北野神社の祭神もゴズテンノウからスサオノミコトへと改められました。 |
スサノオと言えば八岐大蛇(やまたのおろち)退治の伝説。 姉の天照大神(あまてらすおおみかみ)の高天原(たかまがはら)で乱行を働いたスサノオは出雲に追放されます。 そこで出会ったのが老夫婦とその娘・稲田姫命(くしなだひめ)。 老夫婦から、娘がヤマタノオロチに食われてしまうこと聞いたスサノオは、娘を嫁にもらう約束でヤマタノオロチを退治したのだといいます。 その際、スサノオが詠んだのが「八雲立つ 出雲八重垣 妻込めに 八重垣造る その八重垣を」。 これが日本最初の和歌だと言われています。 山ノ内と山崎の行合祭は、「スサオノとクシナダのめぐり逢い」の伝説を今に伝えている祭事。 「八雲神社」という社名は、スサノオが詠んだ和歌に因むものなのだそうです。 |
現在では、面掛行列と言えば坂ノ下の御霊神社ですが、かつての八雲神社の祭礼行列にも面掛行列が参加していたそうです。 坂ノ下の御霊神社の面掛行列は、鶴岡八幡宮の放生会で行われていた面掛行列に倣ったものといわれ、鶴岡八幡宮でも明治維新まで行われていました。 八雲神社の面掛行列の面は、御霊神社の面を模したもので、1840年(天保11年)に作られたものなのだとか。 |
円覚寺の洪鐘祭は、60年に一度行われる円覚寺弁財天の祭礼。 その祭礼行列には、かつて八雲神社祭礼行列あった天狗・爺・烏天狗・猿・布袋・おかめ・女の面をつけた行列が参加し、八雲神社の神輿渡御も行列に加わっていたそうです。 2023年(令和5年)に行われた洪鐘祭では、八雲神社の面掛行列・神輿も参加しています。 |
2023年10月29日、2020年から延期となっていた洪鐘祭が開催されました。 |
令和の洪鐘祭では八雲神社の面掛行列も参加。 |
祇園祭 |
祇園八坂神社 |
祇園信仰の祭礼のもとは京都の「祇園祭」。 869年(貞観11年)、全国に流行した疫病を鎮めるために行われた「祇園御霊会」を始まりとしていると伝えられています。 祇園祭は八坂神社の祭礼。 |
鎌倉市山ノ内585 北鎌倉駅より徒歩5分 |
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