鎌倉手帳(寺社散策)

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光 照 寺
=しゃくなげ寺=

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光照寺


 光照寺(時宗)のある場所は、一遍の鎌倉入りの際の法難霊場。

 山門欄間にはクルスの紋が掲げてあり、本堂には隠れキリシタンの燭台もあって、この辺りにいた隠れキリシタンを光照寺が庇護していたという伝承もある。

 阿弥陀三尊の梵字が刻まれている安山岩の板碑は珍しい。



開山 一向
本尊 阿弥陀三尊


リンクボタン時宗総本山遊行寺(清浄光寺)

リンクボタン鎌倉の時宗の寺



一向の廟所
鎌倉観光一向の廟所
(米原市:蓮華寺)

 米原市にある蓮華寺は、一向が中興開山に迎えられた寺。

 一向は光明寺開山の然阿良忠の門弟で、寺号は良忠の佐助ヶ谷の蓮華寺からとったのだという。









おしゃぶきの祠
おしゃぶきの祠


 山門脇には、毎月お参りするとお年寄りや子どもの咳が止まるという咳の神様「おしゃぶき」の石の祠がある。

 その反対側には、子育て地蔵が祀られている。


子育て地蔵尊
子育て地蔵





光照寺山門
山門


 光照寺の山門は「クルス門」と呼ばれている。

 九州豊後国の岡藩主中川家の紋「中川クルス」(十字架を変形させた紋)が掲げられているためである。

 この門は、もとは東渓院のもので、明治に入り東渓院が廃寺となったときに光照寺に移された。

 中川家はキリシタン大名だったともいわれているが、その真偽はわからない。

 本尊横の釈迦如来像も東渓院から移されたものだという。


光照寺クルス紋
クルス紋





東渓院

 東渓院は、亡くなった岡藩主の娘の菩提を弔うために台山に建立された。

 『新編相模国風土記稿』によれば、箱根早雲寺末で徳蔵山と号する臨済宗の寺だったという。


リンクボタンキリシタンたちの旦那寺





一遍聖絵
一遍の鎌倉入り


 全国各地で遊行していた一遍は、1282年(弘安5年)3月1日、巨福呂坂から鎌倉に入ろうとしたが、八代執権北条時宗によって阻止されたといわれ、その時の様子が藤沢の清浄光寺(遊行寺)に伝わる『一遍上人絵伝』に描かれている。

 一遍らの一行が、その晩野宿した場所が光照寺のある場所だったと伝えられている。

 翌日、一遍は藤沢の片瀬に移り念仏行を行った。

 江の島道の傍らには、一遍が念仏を行った「一遍上人地蔵堂跡」が史跡として残されている。










光照寺
光照寺

光照寺は、「しゃくなげ寺」と呼ばれる寺。


鎌倉市山ノ内827
0467(46)6355

北鎌倉駅より徒歩5分



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