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光明寺裏山(天照山)の中腹には、開山然阿良忠(ねんなりょうちゅう)をはじめとする歴代住職の廟所がある。 良忠は、石見国(島根県)の出身で浄土宗第三祖。 浄土宗開祖法然の弟子聖光から教えを受け、諸国を廻り政治の中心である鎌倉に入った。 四代執権北条経時の帰依を受け、1240年(仁治元年)、佐助ヶ谷の蓮華寺の開山として迎えられている。 光明寺は、その蓮華寺をはじまりとしているとされ、良忠が鎌倉に住まいしたことで浄土宗が関東以北へ広がったといわれている。 死後、伏見天皇から「記主禅師」の諡号が与えられた。 |
鎌倉の蓮華寺と光明寺〜誰がいつ創建したのか・・・〜(okadoのブログ) |
良忠は、1287年(弘安10年)7月6日に示寂。 良忠が布教を行っていた小坪の地で荼毘に付されたといわれている。 そして、荼毘所に建てられた堂は悟真寺と呼ばれ、のちに正覚寺と改名されたのだと伝えられている。 |
北条経時墓 |
光明寺裏山の展望 |
歴代住職の廟所には、光明寺開基の北条経時の宝篋印塔も置かれている。 「光明寺裏山の展望」は、由比ヶ浜の海を一望でき、「稲村ヶ崎」、「十王岩の展望」、「江ノ島稚児ヶ淵」とともに「かながわの景勝50選」に選ばれている。 |
米原市にある蓮華寺は、良忠の門弟一向が中興開山に迎えられた寺。 寺号は良忠の佐助ヶ谷の蓮華寺からとったのだという。 1333年(元弘3年)、足利高氏(尊氏)に六波羅探題を攻め落とされた北条仲時ら140余名が自刃している。 |
材木座の光明寺は、後土御門天皇から「関東総本山」の称号を受けた寺。 10月12日〜15日の間は、夜を徹して念仏や御詠歌を唱える念仏会「お十夜法要」が行われる。 |
鎌倉市材木座6−17−19 0467(22)0603 鎌倉駅東口から徒歩35分又は 小坪経由逗子駅行バス「光明寺」下車 |
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