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遊行寺は1325年(正中2年)に創建された時宗の総本山。
開山は遊行第四代の呑海。 開基は呑海の兄・俣野五郎景平。 正式名称は、「藤澤山無量光院清浄光寺」。 「遊行上人のおわす寺」ということから「遊行寺」の名で親しまれてきた。 本堂は、関東大震災で崩壊した後、1937年(昭和12年)に落成した東海道随一といわれる木造建築物。 |
開山 | 呑海 |
開基 | 俣野五郎景平 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
※ | 呑海と景平は、源頼朝の挙兵に敵対した俣野景久の末裔といわれる。 |
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総門:冠木門 (日本三黒門) |
総門(冠木門)からの石段は、四十八段と呼ばれ、いろは四十八文字からもじって「いろは坂」とも呼ばれている。 |
![]() 塔頭真浄院 |
![]() 塔頭真徳寺 (赤門) |
時宗開祖の一遍は、踊念仏を広め、「決定往生六十万人」と書いた紙の札(賦算札)を配って全国を歩いた(遊行)。 |
宇賀弁財天は、徳川家康の先祖にあたる得川有親が勧請したのだという(藤沢七福神の一つ)。 俣野大権現には、開基の俣野五郎景平が祀られている。 |
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歴代住職墓 |
![]() (小栗判官の伝説) |
![]() (上杉禅秀の乱) |
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源頼朝が酒宴の席で、折敷に「一」・「二」・「三」と書き、「一」を自分の前に、「二」を北条時政の前に、「三」を河野通信の前に置いたことから、河野家の家紋が「折敷に三」となったといわれている。 時宗開祖の一遍は通信の孫にあたる。 |
1282年(弘安5年)3月1日、一遍は巨福呂坂から鎌倉に入ろうとするが、八代執権北条時宗に阻止されてしまう。 翌2日には片瀬に入り、約4ヶ月間の布教を行っている(参考:光照寺)。 |
全国を遊行した一遍は、1289年(正応2年)8月23日、摂津国兵庫津の観音堂(真光寺)で遷化。 「遺体を野に捨てて獣に施せ」と遺言していたが、在地の信者により松の根元で荼毘に付され、廟が設けられたのだと伝えられている。 |
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時宗総本山遊行寺の秋季開山忌(okadoのブログ) 東海道藤沢宿(okadoのブログ) 江の島参詣道(遊行寺〜片瀬〜江の島) 時宗総本山遊行寺の節分(okadoのブログ) |
神奈川県藤沢市西富1−8−1 0466-22-2063 藤沢駅北口より徒歩15分 (東海道線・小田急線・江ノ電) |
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