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遊行寺の秋季開山忌は時宗開祖の一遍の遠忌法要(秋季開山忌は開山呑海の遠忌法要)。 9月21日から24日。 一遍は、各地を行脚(遊行)し、熊野権現の神託によって作ったといわれる「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と書いた札をくばる「腑算」と、踊りながら念仏を唱える「踊躍念仏」によって庶民の中に入り込みました。 1282年(弘安5年)3月1日には、巨福呂坂から鎌倉に入ろうとしますが、八代執権北条時宗に阻止され、翌日、藤沢の片瀬に入って約4ヶ月間にわたる布教を行っています。 鎌倉山ノ内の光照寺は一遍の法難霊場といわれ、片瀬には一遍上人地蔵堂跡があります。 その後も遊行を続けた一遍は、1289年(正応2年)8月23日、摂津国兵庫島の観音堂(真光寺)で亡くなったと伝えられています。 |
「賦算」は、六十万人の人々に配ることを目標としていたが、実際に配れたのは、二十五万一千人余だったといわれます。 |
「躍り念仏」は、尊敬する空也に倣ったものといわれています。 六波羅蜜寺の空也上人立像は、運慶の四男康勝の作(重要文化財)。 念仏を唱える空也の口から吐き出された六体の阿弥陀は、「南無阿弥陀仏」の六文字を表現しているそうです。 |
一遍上人地蔵堂跡 (藤沢) |
一遍上人五輪塔 (神戸:真光寺) |
1282年(弘安5年)、八代執権北条時宗に鎌倉に入ることを阻止された一遍は、片瀬で布教を行います。 全国を遊行した一遍は、1289年(正応2年)8月23日、摂津国兵庫津の観音堂(真光寺)で遷化。 「遺体を野に捨てて獣に施せ」と遺言していましたが、在地の信者により松の根元で荼毘に付され、廟が設けられたのだと伝えられています。 |
神奈川県藤沢市西富1−8−1 0466-22-2063 藤沢駅北口より徒歩15分 (東海道線・小田急線・江ノ電) |
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