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円覚寺の梵鐘は、1301年(正安3年)の刻銘のあるもので、「洪鐘」(おおがね)と呼ばれている。 洪鐘とは大きな釣り鐘のこと。 大旦那は九代執権北条貞時で、鋳物師は物部国光。 銘文は、西澗子曇(せいかんすどん)が撰している。 総高259.4センチメートル、口径142センチメートルで、鎌倉時代の代表的な形態を表している。 鎌倉で最大の梵鐘で、鎌倉三名鐘の一つ。 昭和28年11月14日、建長寺の梵鐘とともに国宝に指定されている。 |
※ | 洪鐘を吊す鉄環は、刀匠正宗の作と伝わる(参考:刃稲荷 正宗工芸)。 |
※ | 鐘楼にかけられている鰐口は、鋳物師瀬戸永歓(せとえいかん)が製作したもので、1540年(天文9年)の銘が刻まれている。 |
『円覚寺鐘 正安三年八月大檀那平貞時 住持宋西澗子曇 大工大和権守物部国光在銘』 |
『皇帝万歳 重臣千秋 風調雨順 国泰民安』 (西澗子曇銘) |
物部氏〜鎌倉大仏鋳造に携わった鋳物師と銅鐘〜 |
北条貞時は父時宗の志を継いで大鐘を鋳造しようとするが、鋳物師の物部国光は、大きな鐘のため二度の失敗を繰り返してしまう。 貞時は、師の西澗和尚の勧めで七日七夜江の島に参籠。 その加護によって三回目の鋳造で成功したのだという。 |
貞時は、洪鐘鋳造の成功に感謝して弁天堂を建立。 江の島の弁財天を勧請して円覚寺の鎮守として祀られた。 この弁財天は江の島で弘法大師が刻んだものと伝えられ、正確には「洪鐘大弁功徳天」と呼ばれるのだという。 、江の島の弁財天とは夫婦弁天と呼ばれ、洪鐘大弁功徳天が男性で、江の島弁財天が女性。 61年目ごと(60年に一度)に行われる「洪鐘祭」で夫婦弁財天が出会うこととなっている。 |
前回の祭礼は1965年(昭和40年)。 洪鐘祭の祭礼行列には、かつて八雲神社祭礼行列にあった天狗・爺・烏天狗・猿・布袋・おかめ・女の面をつけた行列が参加し、八雲神社の神輿渡御も行列に加わっていた。 11月の宝物風入では、江戸期の祭礼の様子を描いた「円覚寺洪鐘祭絵巻」を拝観することができる。 |
2023年10月29日、2020年から延期となっていた洪鐘祭が開催された。 |
円覚寺の開山塔正続院には、開山無学祖元が来日する際に、舟を守護していた竜が宿したという「宿竜池」と呼ばれる池があったのだとか。 『新編相模国風土記稿』によると、洪鐘はその池の底から金銅を得て鋳造されたものと伝えられている。 ただ、洪鐘鋳造の年代からすると、宿竜池があったのは、かつて建長寺にあった無学祖元の塔所なのかもしれない。 |
木造仏光国師坐像 (龍と鳩の伝説) 建長寺塔頭正統院 (無学祖元の塔所があった場所) |
弁天堂茶屋 |
香下庵茶屋 |
弁天堂横にあった弁天堂茶屋は2015年(平成27年)7月で営業を終了。 北鎌倉駅臨時改札口前に移転し、香下庵茶屋としてに営業されている。 2016年(平成28年)4月には、新たに洪鐘弁天茶屋が営業を開始。 |
大弁財天と洪鐘〜円覚寺〜 鎌倉三名鐘 |
円覚寺は、八代執権北条時宗が宋の禅僧無学祖元を招いて開かれた。 臨済宗円覚寺派大本山。 鎌倉五山の第二位。 |
鎌倉市山ノ内409 0467(22)0478 JR北鎌倉駅下車すぐ |
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