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江島神社の辺津宮にある八角の堂。 国の重要文化財の「八臂弁財天」と、裸弁財天として知られる「妙音弁財天」を祀るために1970年(昭和45年)に建てられた。 そもそも弁財天とはインドの河の神で、水神として祀られてきた。 やがて、言語(弁才)の神として信仰され、さらに財宝をもたらす幸福の神とされるようになったいう。 江の島弁財天は、鎌倉・江の島七福神 藤沢七福神めぐりの一つ。 |
昔、五つの頭を持つ龍が悪行を重ねていところ、弁財天が天から舞い降り、五頭龍を諭し悪行をやめさせた。 五頭龍は天女に恋をし、天女は結婚を約束したという。 藤沢の龍口山は、五頭龍が山に姿を変えてできたと伝わる。 また、天女の天下りとともに出現した島が江の島と伝わる。 2001年(平成13年))には、五頭龍を祀る龍口明神社の神輿が、弁財天を祀る江島神社に渡った(御鎮座1450年大祭)。 |
頭上に宇賀神をいただき、八本の腕(手)には、弓・矢・剣・宝珠・輪宝・矛・長杵・鍵棒を持ち、源頼朝が奥州平泉の藤原秀衡調伏のために、文覚に命じて勧請したという伝説が残されている。 1513年(永正10年)に彩色修理が施されていることが墨書銘によって判明している。 |
2019年(平成31年)3月18日発表の文化審議会答申によると・・・ 弁才天の霊地として名高い江の島に伝来する弁才天像。 端正で引締まった顔立ちや深く自然に乱れる袖の衣文などに運慶派の特徴が顕著で、1230年代に幕府や御家人の関与を得て同派の仏師により造られたと推定される。 頭上に蛇身の宇賀神を戴く、いわゆる宇賀弁才天の最古の遺品であり、また鎌倉時代女神像の優品としても注目される。 |
奥州平泉の旅 |
伝源頼朝寄進の鳥居 (奥津宮) |
裸像で「裸弁財天」と呼ばれる。 女性の象徴を全て備えた尊像で、鎌倉時代中期の作と考えられている。 裸像は鎌倉時代の特徴的な彫刻手法で、青蓮寺の鎖大師や延命寺の裸地蔵などの傑作が残されている。 鶴岡八幡宮の弁財天像(鎌倉国宝館寄託)も裸像として知られている(参考:旗上弁財天社)。 |
裸形彫刻の仏像 |
奉安殿の2つの弁財天は、かつては中津宮に安置されていた。 かつての中津宮には竜宮の楼閣「不老門」があって妙音弁財天はそこに置かれていたのだという。 明治の廃仏毀釈の運動の中で破壊されそうになったが、その難を免れている。 |
江戸時代には、大山・江の島の二所詣が盛んに行われるようになった。 そんな中、「男女で弁財天に参拝すると弁天様に妬まれて別れる」という噂がたてられるようになる。 しかし、これは旅先での開放感に浸りたい旅人が、保土ヶ谷宿などで遊興するために、女性同伴を嫌ったことから生まれた噂である。 |
北条貞時は、七日七夜江ノ島弁財天に参籠し、円覚寺の梵鐘(洪鐘)を鋳造したと伝えられる。 それに併せて鐘楼前に弁天堂を建立した。 円覚寺の弁財天は61年ごとに開帳されている。 |
2023年10月29日、2020年から延期となっていた洪鐘祭が開催された。 |
日本の国は思いのまま操れるという「大日の法」。 源義経に「大日の法の巻物」を渡したのは、江の島弁財天の化身・あさひ天女だったのだという。 |
その1:江の島弁天橋〜青銅鳥居〜辺津宮 その2:中津宮〜御岩屋道通り その3:奥津宮〜稚児ヶ淵〜岩屋 |
江島神社は、欽明天皇の勅命で岩屋に宮を建てたのがはじまりとされる。 現在は、辺津宮・中津宮・奥津宮からなる。 |
江の島は、砂が堆積して湘南海岸と島とが陸続きとなった陸繋島。 鎌倉時代には源頼朝が弁財天を勧請。 江戸時代には、大山・江の島の二所詣が流行し賑わった島。 |
江ノ電「江ノ島駅」から徒歩25分 小田急「片瀬江ノ島駅」から徒歩20分 湘南モノレール「湘南江ノ島駅」から徒歩27分 |
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