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青蓮寺は、弘法大師(空海)が開いた高野山真言宗の寺院。 山号は飯盛山。 本尊の「木造弘法大師坐像」は、鎌倉時代特有の裸形彫刻の一つ(国重文)。 足の関節に鎖で繋がれているような細工が施され、自在に動かせることから「鎖大師」と呼ばれる。 「大師様を信仰する人と大師様が、鎖のように強いご縁で結ばれますように」との願いが込められているという。 手指の爪は水晶でできている。 四臂の木造十一面観音立像は鎌倉時代の作。 |
開山 | 弘法大師 |
本尊 | 弘法大師 |
鎌倉の真言宗の寺 除夜の鐘:鎌倉〜除夜の鐘が撞ける寺〜 |
江戸時代まで、青蓮寺には、寶積院と東福院の二つの塔頭があった。 その一つ寶積院が本堂の前に再建されている。 本尊は薬師如来。 江戸時代には熊野神社の管理も行っていたという。 |
819年(弘仁10年)、護摩の修業のため鎌倉に来ていた空海(弘法大師)のもとに、天女(江の島の弁財天)が舞い降り力を貸してくれた。 空海が無事に修行を終えると、天女から仏舎利(釈迦の骨)を授けられた。 空海はそれを密教の法具に納めて一晩を過ごすと、池に青い蓮華の花が咲きそろっていたという。 |
本尊弘法大師像(鎖大師)は、もとは鶴岡八幡宮の供僧坊等覚院にあった。 神仏分離によって松源寺に移された後、像が一人で壽福寺へ行き、しばらく壽福寺に滞在していたという。 その後、青蓮寺の住職の夢枕に現れ「迎えに来るように」とのお告げがあったため青蓮寺に移されたのだという。 |
かつての鶴岡八幡宮は神仏混淆の宗教施設だった。 |
鎖大師とも呼ばれる本尊弘法大師像は、定期的に開帳されている。 |
※ | 弘法大師坐像は、2020年6月から修理中(2021年3月頃まで)。 |
裸形彫刻の仏像 |
かつては、鎌倉街道(県道32号線)の手広の交差点付近にあった地蔵尊。 大豆の数珠を供えてお参りすると「いぼ」が取れるという言い伝えから「いぼ地蔵」・「いぼとり地蔵」とも呼ばれていたのだという。 |
その昔、洲崎合戦の戦死者の供養塔(宝篋印塔)を青蓮寺に移したところ、毎晩、すすり泣くような声がしたため、元の場所に戻したという言い伝えがある(参考:陣出の泣塔)。 |
現在の青蓮寺の門前には、県道304号線が通り、腰越や片瀬に通ずる新しい切通が開かれているが、それまでは「谷戸坂の切通」が唯一の手広と腰越・片瀬を結ぶ道だった。 「谷戸坂の切通」は、現在は通行止めとなっているが、最近まで使用されていた道。 切通の横には「鎖大師参道」と標示された隧道も残されている。 |
鎌倉市手広769 0467(31)1352 JR大船駅より江ノ島行、津村行バス 鎖大師下車 |
〜手広・笛田・梶原・寺分・上町屋・山崎の史跡巡り〜 |
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