鎌倉手帳(寺社散策)

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青 蓮 寺
=鎖大師=

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青蓮寺


 青蓮寺は、弘法大師(空海)が開いた高野山真言宗の寺院。

 山号は飯盛山。

 本尊の「木造弘法大師坐像」は、鎌倉時代特有の裸形彫刻の一つ(国重文)。

 足の関節に鎖で繋がれているような細工が施され、自在に動かせることから「鎖大師」と呼ばれる。

 「大師様を信仰する人と大師様が、鎖のように強いご縁で結ばれますように」との願いが込められているという。

 手指の爪は水晶でできている。

 四臂の木造十一面観音立像は鎌倉時代の作。


開山 弘法大師
本尊 弘法大師


リンクボタン鎌倉の真言宗の寺

リンクボタン除夜の鐘:鎌倉〜除夜の鐘が撞ける寺〜









青蓮寺寶積院
塔頭寶積院薬王寺

 江戸時代まで、青蓮寺には、寶積院と東福院の二つの塔頭があった。

 その一つ寶積院が本堂の前に再建されている。

 本尊は薬師如来。

 江戸時代には熊野神社の管理も行っていたという。



☆伝説!天女と青蓮寺☆

 819年(弘仁10年)、護摩の修業のため鎌倉に来ていた空海(弘法大師)のもとに、天女(江の島の弁財天)が舞い降り力を貸してくれた。

 空海が無事に修行を終えると、天女から仏舎利(釈迦の骨)を授けられた。

 空海はそれを密教の法具に納めて一晩を過ごすと、池に青い蓮華の花が咲きそろっていたという。



☆伝説!鎖大師☆

 本尊弘法大師像(鎖大師)は、もとは鶴岡八幡宮供僧坊等覚院にあった。

 神仏分離によって松源寺に移された後、像が一人で壽福寺へ行き、しばらく壽福寺に滞在していたという。

 その後、青蓮寺の住職の夢枕に現れ「迎えに来るように」とのお告げがあったため青蓮寺に移されたのだという。


神仏混淆の宗教施設

 かつての鶴岡八幡宮は神仏混淆の宗教施設だった。





鎖大師
リンクボタン鎖大師開帳

 鎖大師とも呼ばれる本尊弘法大師像は、定期的に開帳されている。 

弘法大師坐像は、2020年6月から修理中(2021年3月頃まで)。


リンクボタン裸形彫刻の仏像





鎖大師
リンクボタン椿地蔵

 かつては、鎌倉街道(県道32号線)の手広の交差点付近にあった地蔵尊。

 大豆の数珠を供えてお参りすると「いぼ」が取れるという言い伝えから「いぼ地蔵」・「いぼとり地蔵」とも呼ばれていたのだという。





泣塔
リンクボタン陣出の泣塔

 その昔、洲崎合戦の戦死者の供養塔(宝篋印塔)を青蓮寺に移したところ、毎晩、すすり泣くような声がしたため、元の場所に戻したという言い伝えがある(参考:陣出の泣塔)。



谷戸坂の切通
リンクボタン谷戸坂の切通

 現在の青蓮寺の門前には、県道304号線が通り、腰越や片瀬に通ずる新しい切通が開かれているが、それまでは「谷戸坂の切通」が唯一の手広と腰越・片瀬を結ぶ道だった。

 「谷戸坂の切通」は、現在は通行止めとなっているが、最近まで使用されていた道。

 切通の横には「鎖大師参道」と標示された隧道も残されている。



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江の島道(手広〜津〜腰越〜片瀬)









青蓮寺
青蓮寺

鎌倉市手広769
0467(31)1352

JR大船駅より江ノ島行、津村行バス 鎖大師下車



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