洪鐘祭は、円覚寺弁財天の祭礼。 九代執権北条貞時は、洪鐘を鋳造した際、七日七夜江の島弁財天に参籠して鋳造に成功したのだといいます。 それに感謝した貞時は、江の島で弘法大師が刻んだと伝えられる弁財天を円覚寺の鎮守として祀ったのだと伝えられています。 江の島の弁財天と円覚寺の弁財天は夫婦弁天と呼ばれ、61年目ごと(60年に一度)に行われる洪鐘祭で出会うことになっています。 |
2023年10月29日(日)60年に一度の円覚寺弁財天の祭礼「洪鐘祭」が行われました。 |
昭和の洪鐘祭は1965(昭和40年)に行われました。 1960年(昭和35年)に行われる予定でしたが、5年延期されての開催でした。 「江ノ電沿線新聞」によると・・・ 祭礼行列は、10時に小袋谷の水堰橋を出発し、建長寺で折り返して円覚寺というコース。 旗・太鼓・金棒・面掛行列に始まり、神輿の渡御、2度目の祭礼経験者が乗るオープンカー、稚児行列、自動車に乗せた張子の洪鐘や宝船、御詠歌などが続いたようです。 令和の洪鐘祭も新型コロナウイルス感染症のため3年延期されました。 そして2023年(令和5年)の開催となりました。 洪鐘祭は、9時半から12時半まで。 「江ノ電沿線新聞」によると・・・ 小坂小学校で開会式が行われた後、神輿が建長寺まで運ばれて祭礼行列がスタート。 張子の洪鐘、大神輿、お囃子、面掛行列、稚児行列、僧侶神職ら600人を超える参加者がパレード。 その長さは300メートルにも及ぶようです。 |
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令和の洪鐘祭では八雲神社の面掛行列も参加。 |
円覚寺は、八代執権北条時宗が宋の禅僧無学祖元を招いて開かれた。 |
円覚寺の国宝「洪鐘」は、九代執権北条貞時が七日七夜江の島弁財天に参籠して鋳造が成功したというもの。 |
江の島は神仏混淆の霊地として信仰を集めた島。 源頼朝は文覚にに命じて江の島に弁財天を勧請し、奥州平泉の藤原秀衡調伏の祈祷を行った。 |
江島神社は、奥津宮・中津宮・辺津宮からなる神社で、江戸時代までは江の島弁財天と呼ばれた。 辺津宮は源実朝が鶴岡八幡宮の供僧・良真に命じて創建。 |
江島神社の辺津宮にある奉安殿には、 女性の象徴をすべて兼ね備えているといわれる「裸弁財天(妙音弁財天)」と、 源頼朝が文覚に命じて勧請したとも伝わる「八臂弁財天像」 が安置されている。 |
洪鐘祭は60年に一度開催される円覚寺弁財天の祭礼。 |
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