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江の島の岩窟に籠もって修行した鶴岡八幡宮の供僧良真の「天女出現伝説」の古跡。 1202年(建仁2年)、修行を積んだ良真が「天女が現われるのを見た場所」といわれている。 その後、良真は、三代将軍源実朝の命で1204年(元久元年)に宋国へ渡り仏舎利を持ち帰り、1206年(建永元年)には、源実朝に願い出て、江島神社の辺津宮を開いたのだと伝えられている。 辺津宮の開山堂には良真の木像が納められていたが、開山堂が壊されてからは聖天島の祠に安置されている。 |
良真が持ち帰った仏舎利は、円覚寺の舎利殿に納められているものだという。 |
宋に憧れた将軍〜源実朝の唐船建造・渡宋計画〜 源実朝が請来した仏舎利の伝説 (円覚寺舎利殿の仏舎利) |
聖天島は、関東大震災の隆起によって江の島と陸続きとなり、東京オリンピックの際のヨットハーバー整備のための埋め立てによって、現在は、島の上部のみが残されている。 写真の左に写っているのが、かつての聖天島。 「聖天島」は、2つの岩からなっていて、その姿が「歓喜天」の姿に似ていたことから「聖天」と名づけられた。 八坂神社の神輿の担ぎ手は、この島で禊ぎをして、新しい下帯をして祭礼に向かったと伝えられている。 |
蟇石 |
江島霊迹建寺の碑 (宋国伝来の古碑) |
宋に憧れた将軍〜源実朝の唐船建造・渡宋計画〜 源実朝が請来した仏舎利の伝説 (円覚寺舎利殿の仏舎利) |
その1:江の島弁天橋〜青銅鳥居〜辺津宮 その2:中津宮〜御岩屋道通り その3:奥津宮〜稚児ヶ淵〜岩屋 |
江の島は、砂が堆積して湘南海岸と島とが陸続きとなった陸繋島。 鎌倉時代には源頼朝が弁財天を勧請。 江戸時代には、大山・江の島の二所詣が流行し賑わった島。 |
江ノ電「江ノ島駅」から徒歩25分 小田急「片瀬江ノ島駅」から徒歩20分 湘南モノレール「湘南江ノ島駅」から徒歩27分 |
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