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かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを |
「愛していると口に出して言うことさえ出来ずにいるのですから、ましてや伊吹山のさしも草のように燃える思いをご存知ないでしょうね」 『百人一首』の載せられている藤原実方の歌。 意中の相手に書き送った歌らしい。 相手は清少納言という説も。 |
伊吹山は滋賀県の最高峰の山。 「さしも草」は「よもぎ」のことでお灸のもぐさ。 ヨモギまたは七つ葉のヨモギのことで、 お灸のもぐさのこと。 紫式部も越前国から帰京する際に伊吹山を詠んでいる。 そして清少納言の『枕草子』にも似ている歌が。 ただ、この歌の伊吹山は、藤原実方が陸奥に下向するときに通った下野国にある伊吹山のこととする説もある。 実方は、藤原行成へのあさはかな行為がもとで一条天皇の怒りにあい陸奥に左遷されたという逸話が残されている。 |
紫式部の歌~名に高き・・・伊吹山を詠んだ歌~ 清少納言の歌~誰が伊吹の里に行くなどと言ったの?~ 陸奥守に左遷の藤原実方と蔵人頭に昇進の藤原行成の逸話 藤原実方と清少納言~恋人だった?結婚していた?~ |
清少納言は、藤原実方が越前に下向する際に一首詠んでいる。 |
清少納言の歌~藤原実方が陸奥国へ下向する際の歌~ |
藤原実方が赴任したのは、陸奥国府や鎮守府が置かれていた多賀城。 |
実方は赴任から3年後の998年(長徳4年)12月13日、佐具叡神社の神罰で死去したと伝えられている。 里人に「下馬して参拝してから通るように」と言われていたにもかかわらず、乗馬のまま通って落馬したのだとか。 佐具叡神社の跡地には藤原実方の墓が建てられている。 都に未練を残したまま亡くなった実方は、死後、雀となって都に戻ったという伝承がある。 |
雀塚は藤原実方の供養塔。 勧学院の観智上人の夢の中に雀が現れて、実方だと名乗り、自分の為に読経をしてほしいと頼んだのだという。 翌朝、その雀が死骸が見つかり、観智上人は雀塚を建てて実方を供養したのだとか。 勧学院に建てられた実方の雀塚は、勧学院を前身とする更雀寺に移されている。 |
入内雀・実方雀~雀となって都に現れた藤原実方~ |
上賀茂神社の末社橋本神社には実方が合祀されているらしい。 『徒然草』によると、死後、その霊が御手洗川に映ったのだとか。 |
『百人一首』の一番歌は天智天皇の 「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」 近江神宮は天智天皇を祀ることから「かるたの聖地」と呼ばれている。 |
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