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九重に 匂ふを見れば 桜狩り かさねてきたる 春のさかりか |
「宮中で美しく咲いている八重桜を見ると、春の盛りが重ねてきたかと思う桜狩の日・・・」 4月に宮中で八重に咲いた一枝の桜の花を見て詠んだ歌。 「九重」には「宮中」という意味もあるらしい。 旧暦の4月は、現在の4月後半から6月上旬で初夏にあたる。 したがって季節外れの桜。 「かさねてきたる 春のさかりか」は、「再び春が来た」という意味らしい。 この歌は、伊勢大輔が詠んだ歌の返しで、紫式部が中宮・藤原彰子に代わって詠んだのだという。 伊勢大輔が詠んだ歌は『百人一首』に収められている・・・ |
いにしへの 奈良の都の 八重桜 きょう九重に にほひぬるかな |
「いにしえの奈良の都の八重桜が、今日は宮中で美しく咲き誇っています」 この歌は、奈良の興福寺の扶公僧都が一枝の八重桜を献上したときに、藤原道長の命で伊勢大輔が詠んだもの。 当時の京都では八重桜が珍しかったらしい。 伊勢大輔は、1005年(寛弘5年)頃から一条天皇の中宮・藤原彰子に仕え、紫式部や和泉式部と親交があった。 この歌を詠んだ時は、先輩の紫式部に代わって奈良の都からの八重桜を受け取る役目をしたのだという。 |
興福寺の八重桜の噂を聞いた藤原彰子は、その桜を宮中へ植え替えるよう命じたのだという。 しかし、京都に移動する途中で、追いかけてきた興福寺の僧侶に「その桜は京都には渡せぬ」と言われ断念。 伊賀の国・予野の庄に植えられたのだとか。 |
興福寺は藤原氏の氏寺。 伊勢大輔が詠んだ八重桜は、かつてあった東円堂に植えられていたのだという。 |
平安宮 (大内裏) |
内裏跡 |
平安宮は、平安京の宮城。 内裏は天皇の住まいで、儀式や執務などを行う宮殿。 平安時代の内裏(御所)は、現在の京都御所の西方にあった。 |
『百人一首』の一番歌は天智天皇の 「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」 近江神宮は天智天皇を祀ることから「かるたの聖地」と呼ばれている。 |
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