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「花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖はもみじ、花はみよしの」 これは、室町時代の禅僧・一休宗純の名言。 花は桜がすばらしい。 そして、ぱっと咲いてぱっと散る桜のように、美しく咲き潔く散る武士はすばらしい。 |
1184年(寿永3年)1月20日、源義経は宇治川の戦いで花を咲かせました。 同年2月7日には一ノ谷の戦いで、翌年2月19日には屋島の戦いで平家を敗走させます。 そして3月24日、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼしました。 義経が歴史上で輝いていたのはこの1年。 ぱっと咲いた義経桜でした。 |
その後、兄の頼朝と不仲となってしまった義経は、「花はみよしの」の吉野山で愛妾静と別れ、奥州平泉へ。 1189年(文治5年)閏4月30日、衣川館で最期を遂げます。 |
「鎌倉武士の鑑」といわれた畠山重忠は、1205年(元久2年)6月22日、北条時政の謀略により、武蔵国の二俣川で最期を遂げました。 |
重忠は、僅か150騎を従えていたのみで、家臣からは引き返すよう進言されますが・・・ 「潔く戦うことが武士の本懐」 として討伐軍を迎え撃つことにしたのだといいます。 |
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