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畠山重忠は、源頼朝の鎌倉幕府創業の功臣。 重忠は、1205年(元久2年)6月19日、北条時政から急ぎ鎌倉に出頭するよう命じられたため菅谷館(現在の埼玉県嵐山町)を発つが、鶴ヶ峰にさしかかると北条義時を大将とする幕府軍数万騎に攻められ、6月22日、武蔵国二俣川(現在の横浜市旭区)で最期を遂げた。 潔く戦うことが武士の本懐 |
畠山重忠は弓の名手といわれた愛甲三郎季隆の矢に当たって最期を遂げたといわれている。 この石碑は、昭和30年、重忠没後750年を記念して、鶴ヶ峰と埼玉県川本町(現深谷市)の有志によって建てられたもの。 |
重忠は、死ぬ前に「我が心正かればこの矢にて枝葉を生じ繁茂せよ」といって、2本の矢を地面に突き刺した。 その矢が根付き、毎年2本ずつ増えていったといわれている。 現在では、この矢竹を見ることはできなくなったが、平成17年に重忠没後800年を記念して畠山重忠公碑の前に植えられた。 |
首塚 |
首洗い井戸 |
矢畑 |
清来寺 |
六ッ塚 (薬王寺) |
すずり石水跡 |
駕籠塚 |
遺烈碑 |
畠山重忠公 史跡公園 (重忠誕生地・深谷市) |
菅谷館 (嵐山町) |
鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場の東の鳥居を抜けたところにある石碑。 源頼朝の信任を得た畠山重忠の邸は、御所の南という重要な地に置かれた。 |
横浜市旭区鶴ケ峰本町1−1 相鉄線「鶴ヶ峰駅」より |
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