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「首洗い井戸」は、帷子川の河原にあったもので、1205年(元久2年)、二俣川の地で最期を遂げた畠山重忠の首を洗ったと伝えられている。 以前は、直系1メートル程の穴があって水が湧いていたというが、現在では帷子川の流れが変わってしまい失われてしまったという。 畠山重忠終焉の地を流れていた当時の帷子川は、水深があり川幅も広かったため、鎧を頭上に持ち上げて川を越えたことから「鎧の渡し」と呼ばれていたという(現在は緑道として整備されている。)。 潔く戦うことが武士の本懐 |
横浜市旭区には、重忠ゆかりの史跡が多く残されている。 |
畠山重忠公史跡公園 (深谷市) |
菅谷館 (嵐山町) |
畠山重忠公史跡公園は重忠の生誕地に整備された公園。 菅谷館は重忠が居住した所と伝えられている。 |
鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場の東の鳥居を抜けたところにある石碑。 源頼朝の信任を得た畠山重忠の邸は、御所の南という重要な地に置かれた。 |
横浜市旭区鶴ヶ峰1丁目旭区役所裏 相鉄線「鶴ヶ峰駅」より |
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