鎌倉手帳(寺社散策)

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畠山重忠内室の駕籠塚
〜横浜市旭区〜


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駕籠塚


 駕籠塚は、畠山重忠の内室・菊の前の墓所。

 1205年(元久2年)、合戦の報に接し二俣川の戦場に駆けつけた菊の前は、重忠の戦死を知ると自害したのだと伝えられている。

 自害した場所に籠のまま埋葬されたため「駕籠塚」と呼ばれている。

 菊の前は、足立遠元の娘。

 重忠は北条時政の娘も妻としているが、時政の娘は重忠滅亡後、足利義純に再嫁している。



畠山重忠の乱


 リンクボタン潔く戦うことが武士の本懐



二俣川合戦の地
畠山重忠終焉の地
リンクボタン畠山重忠終焉の地

 横浜市旭区には、重忠ゆかりの史跡が多く残されている。





畠山重忠像
リンクボタン畠山重忠公史跡公園
(深谷市)
菅谷館跡
リンクボタン菅谷館
(嵐山町)

 畠山重忠公史跡公園は重忠の生誕地に整備された公園。

 菅谷館は重忠が居住した所と伝えられている。


畠山重忠邸跡碑
リンクボタン畠山重忠邸跡碑

 鶴岡八幡宮流鏑馬馬場の東の鳥居を抜けたところにある石碑。

 源頼朝の信任を得た畠山重忠の邸は、御所の南という重要な地に置かれた。



鎌倉武士の鑑
畠山重忠


2022年のNHK大河ドラマ
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駕籠塚
駕籠塚

横浜市旭区鶴ケ峰本町2−39

相鉄線「鶴ヶ峰駅」より。



畠山重忠終焉の地
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