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畠山重忠は、武蔵国の武将。 父は畠山重能、母は三浦大介義明の娘。 1180年(治承4年)の源頼朝挙兵時には平家方の大庭景親に従ったが、のちに臣従して、頼朝の鎌倉入りの際には先陣を務めた。 頼朝の武家政権樹立に尽力し、智・仁・勇を兼ね備えた「鎌倉武士の鑑」と称されていたが、頼朝死後の1205年(元久2年)6月22日、北条時政の謀略により武蔵国二俣川で最期を遂げる。 横浜市旭区にある首塚は、弓の名手といわれた愛甲三郎季隆の矢に倒れた重忠の首が祀られた場所と伝えられている。 潔く戦うことが武士の本懐 |
横浜市旭区には、重忠ゆかりの史跡が多く残されている。 |
畠山重忠公史跡公園 (深谷市) |
菅谷館 (嵐山町) |
畠山重忠公史跡公園は重忠の生誕地に整備された公園。 菅谷館は重忠が居住した所と伝えられている。 |
鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場の東の鳥居を抜けたところにある石碑。 源頼朝の信任を得た畠山重忠の邸は、御所の南という重要な地に置かれた。 |
横浜市旭区鶴ケ峰1−3−7 相鉄線「鶴ヶ峰駅」より |
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