|
『吾妻鏡』によると、1185年(元暦2年)2月18日丑尅(午前2時頃)、平家が拠る屋島を攻撃するため摂津国から五艘の船を出航させた源義経。 卯尅(午前6時頃)、阿波国の椿浦に上陸。 直ちに150騎ととも阿波国の近藤親家を案内人として屋島へ向ったのだという。 |
源義経騎馬像が建てられている旗山は、上陸した義経が源氏の白旗を掲げた場所なのだと伝えられている。 |
出航の際、義経は梶原景時と逆櫓をつけるかつけないかで言い争ったのだとか(逆櫓の論争)。 その後、義経は暴風の中を五艘の船(150騎)で摂津国を出航。 屋島に拠る平家軍を敗走させた。 『平家物語』には、遅れて到着した景時が「六日の菖蒲」と嘲笑されたことが語られている。 菖蒲は5月5日の端午の節句に用いるもので、5月6日では間に合わない・・・。 |
徳島県小松島市芝生町宮ノ前39 徳島バス立江線萱原行「芝生」下車徒歩5分 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|