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忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな |
「いつまでも忘れない…というあなたの言葉が、遠い将来まで変わらない…ということはないのでしょう。 だから、その言葉を聞いた今日を限りに命が尽きてしまえばいいのに」 『百人一首』に収められた儀同三司母(高階貴子)の歌。 貴子は関白・藤原道隆の正室。 この歌は道隆が貴子のもとに通い始めた頃に詠んだもの。 当時は夫が妻の所に通う「通い婚」の時代。 幸せの一方で、「夫が通って来なくなったら離婚」という不安を同時に抱えていた貴子の心境を詠んだものらしい。 |
「儀同三司」(ぎどうさんし)は、太政大臣・左大臣・右大臣と同格であるという意。 貴子は、子の藤原伊周が三司と同格の内大臣となったことで「儀同三司母」(ぎどうさんしのはは)と呼ばれていた。 ただ、晩年は・・・ 995年(長徳元年)、藤原道隆が亡くなると、伊周は叔父の藤原道長と権力争いに敗れ、翌年正月には花山法皇を襲撃して失脚(長徳の変)。 貴子は病に倒れ、10月に没している。 |
『百人一首』の一番歌は天智天皇の 「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」 近江神宮は天智天皇を祀ることから「かるたの聖地」と呼ばれている。 |
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