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吉田神社は、859年(貞観元年)、藤原山蔭が藤原氏の氏神・春日大社を平安京の守護神として勧請。 山蔭の孫・時姫が藤原兼家の室となり、時姫が産んだ詮子は円融天皇に入内して一条天皇を産んだことから、外戚の氏神として尊崇されるようになる。 一条天皇が即位すると大原野神社と並んで崇敬され、吉田祭が公祭に定められている。 室町時代の公卿・一条兼良の『公事根源』には、 「平城京の時は春日大社、長岡京の時は大原野神社、平安京では吉田神社が御門を守護」と記され、 「藤原道長の法成寺と吉田神社を崇めることは興福寺と春日大社を崇めるのと同じ」と記されている。 鎌倉時代以降は、卜部氏(後の吉田家)が神職を相伝。 1206年(建永元年)には後鳥羽上皇が御幸。 1235年(嘉禎元年)には、鎌倉幕府四代将軍の九条頼経の疱瘡平癒祈願に伊勢神宮・石清水八幡宮・上賀茂神社・下鴨神社・春日大社・日吉大社・八坂神社・大原野神社・北野天満宮・熱田神宮・鶴岡八幡宮などの諸社とともに大般若転読・神楽奉納がなされ・・・ 1238年(暦仁元年)に上洛した頼経は、上賀茂神社・下鴨神社 ・八坂神社・北野天満宮とともに吉田神社を参詣している。 室町時代末期には吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始した。 |
建御賀豆智命 (たけみかづちのみこと) 伊波比主命(いわいぬしのみこと) 天之子八根命 (あまのこやねのみこと) 比売神(ひめのかみ) |
京都市左京区吉田神楽岡町30 |
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