紫式部「光る君へ」


藤原嬉子
藤原道長の六女


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 藤原嬉子(ふじわらのきし・よしこ)は、藤原道長の六女。

 母は源倫子

 1008年(寛弘4年)1月5日誕生。


 1021年(寛仁5年)、道長の嫡子・頼通の養女として後一条天皇の皇太子・敦良親王(のちの後朱雀天皇)に入内(東宮妃)。

 後一条天皇は、嬉子の姉・藤原彰子が産んだ一条天皇の第二皇子。

 敦良親王も彰子が産んだ一条天皇の第三皇子。

 後一条天皇の即位に伴い東宮(皇太子)となった敦明親王三条天皇の第一皇子)が皇太子を辞退したため、敦良親王が皇太子となっていた。

 敦明親王には、嬉子の姉・藤原寛子が嫁いでいる。



一条天皇

後一条天皇
(母・彰子)
 
後朱雀天皇
(母・彰子)



 嬉子は、1025年(万寿2年)8月3日に親仁親王(のちの後冷泉天皇)を産んだが、2日後の8月5日に薨去してしまう(19歳)。

 道長の悲しみは大きく、8月7日、屋根にのぼって死者の名を呼ぶ蘇生の儀式「魂呼」(たまよばい)を行わせたのだという。




京都御苑:土御門第跡
リンクボタン土御門殿跡

 土御門殿は、嬉子が後冷泉天皇を出産した邸宅。

 姉の彰子が産んだ後一条天皇後朱雀天皇もここで誕生した。



堀河院跡
リンクボタン堀河院跡

 堀河院(堀河殿)は、左大臣・藤原顕光が伝領した邸宅。

 顕光の次女で三条天皇の第一皇子・敦明親王の妃となった藤原延子は、堀河殿で敦明親王とともに暮らしていたが・・・

 嬉子の姉・寛子(道長の三女)に敦明親王を奪われ、悲嘆のあまりに病に伏して亡くなった。

 その後、寛子・嬉子・妍子(道長の次女)が続けて死去するが・・・

 延子と顕光の怨霊が現れたとも伝えられる。



リンクボタン藤原顕光と藤原延子の怨霊に祟られた藤原道長の娘たち










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