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御産養の夜、中宮(彰子)の前に対座し静かに御簾をあげる紫式部 『紫式部日記絵巻』 |
一条天皇の第二皇子・敦成親王(後一条天皇)の誕生から7日目の夜(1008年(寛弘5年)9月17日)、土御門邸では朝廷主催の「御産養」が行われた。 『紫式部日記』によると・・・ 勅使は蔵人少将・藤原道雅。 勧学院の学生たちも参上し、盛大で仰々しく行われた。 中宮・藤原彰子は少し疲れているようだったが、顔は清らかに美しく、髪が結い上げられて一段と見事だったらしい。 |
藤原障子の皇子出産と紫式部と源氏物語~『紫式部日記』~ 敦成親王誕生5日目の御産養~紫式部日記~ |
「産養」(うぶやしない)は、生後三日、五日、七日、九日目の夜に行われる祝宴。 土御門邸では、9月13日に中宮職、9月15日に藤原道長、9月17日に朝廷、9月19日に藤原頼通の主催で行われている。 |
御産養の盛儀を覗き見て感激する夜居の僧(紫きぶ七橋) |
5日目(9月15日)の御産養は藤原道長主催。 紫式部は宿直の僧にその華やかさをみせる。 |
勧学院は、藤原氏出身の大学寮学生のための寄宿舎。 藤原氏の氏の長者の家に慶事があったときには、勧学院の学生一同が整列して練り歩いて慶事に参列したのだという。 この行列は「勧学院の歩み」と呼ばれていた。 |
1008年(寛弘5年)9月11日、一条天皇の中宮・藤原彰子は土御門殿で敦成親王(後一条天皇)を出産。 |
藤原障子の皇子出産と紫式部と源氏物語~『紫式部日記』~ 敦成親王誕生5日目の御産養~紫式部日記~ |
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越前武生を流れる河濯川に架かる七つの橋のレリーフ。 |
越前市東千福町20 武生駅から白山行き福鉄バス 「紫式部公園口」下車 市民バス市街地循環南ルート 「紫式部公園」下車 |
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