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御五十日祝いに若宮を抱く中宮と祝膳を供する女房 『紫式部日記絵巻』 |
1008年(寛弘5年)11月1日、一条天皇の第二皇子・敦成親王(のちの後一条天皇)の「五十日の祝い」の様子。 几帳で仕切られた南面の廂の間に中宮・藤原彰子と敦成親王の御膳が供えられている。 彰子の給仕役は宰相の君讃岐(藤原豊子)。 敦成親王の給仕役は大納言の君(源廉子?)。 紫式部には、敦成親王の小さい御膳台やお皿などが雛遊びの道具のように見えたらしい。 |
「五十日の祝い」が行われたのは藤原道長の邸宅・土御門殿。 |
藤原障子の皇子出産と紫式部と源氏物語~『紫式部日記』~ |
諸説あるようだが、敦成親王の給仕役を務めた大納言の君は、藤原道長の正室・源倫子の兄弟の源時通の娘・廉子といわれる。 |
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越前武生を流れる河濯川に架かる七つの橋のレリーフ。 |
越前市東千福町20 武生駅から白山行き福鉄バス 「紫式部公園口」下車 市民バス市街地循環南ルート 「紫式部公園」下車 |
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