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一般に永観堂と呼ばれている禅林寺は、浄土宗西山禅林寺派の総本山。 正式名称は聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)無量寿院禅林寺。 853年(仁寿3年)、空海(弘法大師)の高弟真紹(しんじょ)が、文人・藤原関雄の邸宅跡の寄進を受けて寺とし、863年(貞観5年)には清和天皇より禅林寺の勅額を賜った。 当初は真言密教の寺院だったが、1072年(延久4年)に入山した第七世永観(ようかん)は、境内に薬王院を設けて病人救済などを行い、人々に念仏を勧めた。 そのことで禅林寺は「永観堂」と通称されるようになる。 鎌倉時代初期に住持となった静遍(じょうへん)は真言宗の僧だったが、法然に帰依し、法然の弟子・証空を次の住持として招いている。 その後、証空の弟子浄音が住持のときに真言宗から浄土宗西山派の寺院となった。 |
![]() 総門 |
![]() 中門 |
総門は高麗門形式(江戸時代)、中門は薬医門形式(1744年(延享元年)。 |
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![]() ![]() (方丈) |
![]() 御影堂 (法然を祀る仏堂) |
![]() ![]() (本堂) 「みかえり阿弥陀」 |
開山堂 |
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山の斜面にそって巧みに木を組み合わせて造られた廊下は、龍の背中を歩いているようであることから「臥龍廊」(がりゅうろう)と呼ばれる。 |
![]() 弁天島 |
![]() 放生池 |
鎌倉時代初期に禅林寺住持となった静遍は、平清盛の弟頼盛を父とする。 源頼朝も帰依し、「大般若経」を寄進したという。 |
京都市左京区永観堂町48 地下鉄東西線「蹴上駅」下車 徒歩15分 市バス「南禅寺・永観堂道」下車 徒歩3分市バス「東天王町」下車 徒歩5分 |
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