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吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)は、水を司る天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)を主祭神とし、大和国の東西南北(宇太・葛城・吉野・都祁)に置かれた社の一つ。 もとは吉野山最南端の青根ヶ峰の山頂にあって、806年(大同元年)頃に現在地へ遷座されたのだという。 子守宮とも呼ばれ、「みくまり」が訛って「みこもり」となり、子授けの神としての信仰を集めた。 清少納言の『枕草子』にも「みこもりの神」として登場する。 藤原道長の『御堂関白記』には「子守明神」として登場し、1007年(寛弘4年)の御嶽詣では御幣を奉っているのだという。 1185年(文治元年)、源義経が金峯山寺の僧兵に追われて逃げ延びた場所とも伝えられている。 現在の社殿は、1605年(慶長10年)に豊臣秀頼によって建立されたもの。 1594年(文禄3年)、吉水院(吉水神社)を本陣として吉野の花見を催した豊臣秀吉は、この地を訪れて秀頼誕生を祈願したのだという。 建長3年(1251年)の銘のある木造玉依姫命坐像は国宝。 楼門・本殿・拝殿・幣殿・回廊(2棟)・透塀・釣燈篭4基・木造天万栲幡千幡姫命(あめよろずたくはたちはたひめのみこと)坐像は重要文化財。 黒漆金銅装神輿(こくしつこんどうそうしんよ)は奈良県の有形文化財。 |
藤原道長の御嶽詣〜彰子の男児出産を願っての金峯山参詣か?〜 国宝に指定された藤原道長直筆の経巻〜吉野山:金峯神社・金峯山寺〜 金銅藤原道長経筒〜御嶽詣と弥勒信仰と道長の願文〜 |
楼門に置かれている湯釜は豊臣秀頼の寄進。 |
幣殿に置かれている八角八棟造の神輿は、1604年(慶長9年)に豊臣秀頼が寄進したもの。 |
清少納言は『枕草子』に素晴らしい神として・・・ 松尾大社・石清水八幡宮・大原野神社・春日大社・平野神社・水分神社・上賀茂神社・下鴨神社・伏見稲荷大社を挙げている。 |
宇太水分神社は、幼少の源頼朝が参拝し、杉の苗を植えて大将軍になれるかどうかを占ったと伝えられる社。 |
奈良県吉野郡吉野町吉野山1612 吉野大峯ケーブル自動車「吉野山駅」から徒歩1時間30分。 |
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