|
ほととぎす 声まつほどは 片岡の 森のしづくに 立ちやぬれまし |
「ほととぎすが鳴くまで片岡社の森の雫に濡れてみてもいいかもしれない・・・」 この歌は、早朝に上賀茂神社に詣でたときに、連れの一人が 「ほととぎすが鳴いてほしい」 と言ったので詠んだもの。 片岡社の森の木々の梢が美しく見える中で、ほとぎすが鳴くのを期待して待っている様子を詠んでいる。 上賀茂神社を詣でた理由は葵祭(賀茂祭)とも言われるが・・・ 996年(長徳2年)に父の藤原為時に同行して越前国へ下向する直前の歌とする説もある。 そうだとすると、筑紫の肥前国に下ることとなった筑紫の君も一緒にいたのかもしれない。 ほととぎすは「不如帰」と書かれるが、これは「不如帰去」(帰り去くに如かず)という中国の伝説に基づくもので、「自分の国に帰りたい」という意味があるらしい。 お互いに遠い所に行ってしまう二人は、無事に帰京することを祈願したのかもしれない。 |
上賀茂神社の歌碑は、2008年(平成20年)、京都北ライオンズクラブ結成45周年を記念して「ならの小川」のほとりに建てられたもの。 |
片岡社は、上賀茂神社の祭神・賀茂別雷大神の母・玉依比売命を祀る社。 「縁結びの神」として信仰されていることから、「ほととぎす」は将来の結婚相手をさしているという説も。 |
996年(長徳2年)、紫式部は越前守に叙任された父の藤原為時に同行して越前国へ下向。 紫式部公園は、紫式部が越前国に下向したことを記念して整備された公園。 |
紫式部の歌〜肥前へ旅立つ筑紫の君との贈答歌〜 紫式部の歌〜越前へ下る紫式部と筑紫の君との贈答歌〜 紫式部の歌〜越前国で筑紫の君と贈答した歌〜 |
紫式部歌碑 (紫式部公園) |
紫式部歌碑 (蔵の辻) |
紫式部公園の歌碑は、越前に下向して初めての冬に、都の大原野神社を思い出して詠んだ歌。 蔵の辻の歌碑は、早く都へ帰りたくて詠んだ歌。 |
岩本神社 |
橋本神社 |
上賀茂神社末社の岩本神社と橋本神社には、『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとされる在原業平と藤原実方がそれぞれ合祀されているのだという。 『源氏物語』〜須磨の巻〜は、業平の兄・行平の須磨での日々を重ねあわせながら書かれたのだと言われる。 実方は、清少納言と交際していたともいわれている。 |
賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂氏の氏神を祀る神社。 |
京都市北区上賀茂本山339 京都市営地下鉄烏丸線「北山駅」徒歩約25分 市バス(4・46・67系統)「上賀茂神社前」 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|