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北へ行く 雁のつばさに ことづてよ 雲のうはがき かきたえずして |
「西国から北へ向かう雁の翼に託して手紙をください」 この歌は、紫式部が父・藤原為時の越前下向に同行して旅立つことになったときに、姉君と慕っていた筑紫の君に贈ったもの。 姉を亡くした紫式部と妹を亡くした筑紫の君は、互いに亡くなった姉と妹のかわりになろうと誓い合い、手紙では「姉君」「中の君」と書いて文通していた。 「中の君」とは二番目の女子という意味。 |
行きめぐり たれも都に かへる山 いつはたと聞く ほどのはるけさ |
「都に帰るのは遠い先のことのように思える・・・」 筑紫の君の紫式部への返歌。 紫式部が越前国に下向したのと同じ頃、筑紫の君は肥前国に下向している。 |
紫式部の歌~肥前へ旅立つ筑紫の君との贈答歌~ 紫式部の歌~越前国で筑紫の君と贈答した歌~ |
紫式部公園 (越前市) |
木ノ芽峠 |
996年(長徳2年)、紫式部は父の藤原為時に同行して越前国へ下向。 紫式部公園は、紫式部が越前国に下向したことを記念して整備された公園で、園内には金色の紫式部像が置かれている。 筑紫の君の歌にある「かへる山」は「鹿蒜山」(かひ(え)るやま)のことで木ノ芽峠一帯の山並みことではないかといわれる。 「かへる」と「帰る」をかけている。 木ノ芽峠は、紫式部が越前に下向するときと帰京するときに通ったといわれる道。 |
紫式部歌碑 (越前市) |
鹿蒜神社 (南越前町) |
紫式部が越前に滞在中に詠んだ 「ふるさとに 帰る山路の それならば 心やゆくと ゆきも見てまし」 の帰る山路は、「鹿蒜山」のことで「鹿蒜」と「帰る」を懸けている。 越前市の蔵の辻にこの歌の歌碑が建てられている。 鹿蒜神社は鹿蒜駅にある社で、武生国府へ向かう紫式部は鹿蒜駅に一泊しているといわれる。 |
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