平泉へ向かう源義経も逗留した越前武生 |
|
木曽義仲を討ち、一ノ谷の戦い・屋島の戦いで平家を敗走させ、壇ノ浦の戦いで平家を滅亡させた源義経。 しかし、後白河法皇のたくらみもあって源頼朝と対立して都落ち。 吉野山で静御前と別れた後、再び都に戻り、六条堀川館や嵯峨の辺りに忍んでいたこともあったが、奥州へ逃れることに。 『義経記』によると・・・ 都を発った義経一行は、粟田口から逢坂の関を越えて関寺の夕刻の鐘を聞きながら大津へ到達。 大津の領主・山科左衛門が園城寺の僧兵を抱え込み城郭を構えて義経を待ち構えていたが、豪商の大津次郎の計らいで大津浦から船出。 琵琶湖の西岸沿いを唐崎の松、比叡山、日吉大社、堅田浦を見ながら進み、白鬚神社を拝みながら今津浦を過ぎて海津浦に到着。 海津浦で大津次郎と別れた一行は、古代の道で人跡も絶えて道も定かではない愛発山を越えて敦賀を目指した。 途中で愛発関の関守に囲まれてしまうが弁慶の機転で難を逃れ、敦賀に到達。 気比神宮の御前で夜を通して祈願。 出羽へ下る舟を探したが、2月だったことから風は激しく、行き通う舟がなかった。 そのため、木ノ芽峠を越えて越前武生に辿り着いたのだという。 そして、越前国府に三日逗留した後、平泉寺を参拝し、奥州平泉へと向かっている。 |
逢坂の関 (大津市) |
長安寺 (大津市) |
逢坂の関は、山城国と近江国の国境に置かれた関所。 長安寺は逢坂の関付近にあったという関寺の霊跡。 紫式部は大津の打出浜から船出し、琵琶湖の西岸沿いを北へ向かった。 |
唐崎神社 (大津市) |
白鬚神社 (高島市) |
唐崎神社は日吉大社の摂社。 境内の唐崎の松は、松尾芭蕉の「辛崎の松は花より朧にて」で知られる霊松。 白鬚神社は、近江国最古の大社。 紫式部も参拝したといわれ境内には紫式部の歌碑が建てられている。 その後、紫式部は塩津浦に上陸し、塩津山を越えて敦賀にへ向かったといわれている。 |
気比神宮 (敦賀市) |
木ノ芽峠 |
気比神宮は北陸道の総鎮守。 木ノ芽峠は紫式部も使ったという古道。 |
国府は、奈良時代に建設された地方政治の拠点。 越前国府は、紫式部の『源氏物語』にも「武生の国府」とあることから、武生にあったことは確かなようだが、具体的な場所はわかっていない。 |
紫式部公園 (越前市) |
紫式部像 (越前市) |
紫式部公園は 紫式部が越前国に下向したことを記念して整備された公園。 園内には、十二単衣をまとった金色の紫式部像が建てられている。 |
平泉は、藤原清衡・基衡・秀衡の三代が約100年にわたって栄華を極めた地。 |
衣川館 (高館義経堂) |
義経妻子の墓 |
越前を旅立った義経は、平泉の藤原秀衡を頼ったが・・・ 秀衡亡き後、衣川館を秀衡の子泰衡に襲撃されて自害。 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|