|
六条堀川館は、源頼義・義家・為義・義朝・義経の邸宅で、「源氏累代の館」と呼ばれていた。 1156年(保元元年)の保元の乱では為義が、1159年(平治元年)の平治の乱では義朝が拠点とした場所。 1185年(元暦2年)10月9日、源頼朝の命により、土佐坊昌俊が義経を襲撃したのも六条堀川館での出来事だった(参考:土佐坊昌俊の義経襲撃)。 同年11月3日、義経が都落ちした後、焼き払われてしまったのだと伝えられている。 左女牛井(さめがい)は、平安時代からあって名水の湧き出す井戸として知られ、梨木神社境内の染井・京都御所の縣井とともに京都三名水の一つに数えられていた。 六条堀川館内にあったのだという。 現在では、「左女牛井之跡」と刻まれた碑が六条堀川館唯一の遺跡となっている。 |
頼義 |
義家 |
義親※ |
為義 |
義朝 |
源頼朝 |
京都市下京区堀川通五条下る |
若宮八幡宮は、源頼義が六条堀川館内に石清水八幡宮を勧請して創建した社。 東山の若宮八幡宮社は、この社を始まりとしている。 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|