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源為義は、河内源氏・源義親の四男(祖父は源義家)。 1109年(天仁2年)、叔父の義忠(河内源氏四代目)が暗殺された後、河内源氏の棟梁を称した。 1156年(保元元年)に勃発した保元の乱では崇徳上皇方についたが、後白河天皇方についた嫡男の義朝と平清盛に敗れ、斬首されている(享年61)。 |
※ | 為義は義親の子ではなく義家の子という説もある。 |
※ | 為義を斬首したのは子の義朝。 義朝は為義と弟たちの助命を願ったが叶えられなかったという。 |
壺井八幡宮 (河内源氏の氏神・ 羽曳野市) |
源氏堀川館跡 (左女牛井之跡) |
京都市下京区朱雀裏畑町10 |
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