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若宮八幡宮は、1053年(天喜元年)、後冷泉天皇の勅願により源頼義が左女牛(さめがい)西洞院の自邸内に石清水八幡宮を勧請したことに始まる。 左女牛八幡宮、六条左女牛若宮、六条八幡宮などと呼ばれていた。 石標には「八幡太郎源義家誕生地」と刻まれている(義家は頼義の子)。 『吾妻鏡』の1185年(文治元年)12月30日条には、廷尉禅門源為義の六条邸跡にある社で、石清水八幡宮を勧請して祀った社であることが記され、源頼朝は、土佐国吾河郡を寄付し、大江広元の弟の季嚴阿闍梨を長官に任命している。 さらに、1187年(文治3年)には、鶴岡八幡宮(鎌倉)に併せて放生会を始行するよう沙汰し、1190年(建久元年)、1195年(建久6年)に上洛した際には社参しているという。 室町時代に入っても足利氏からの保護を受け、御所八幡宮と並んで崇敬されたが、応仁の乱の兵火によって荒廃した。 その後、東山に移転されたが、もとの場所にも小祠が再興されている。 |
頼義 |
義家 |
義親※ |
為義 |
義朝 |
源頼朝 |
源氏堀川館跡 (左女牛井之跡) |
若宮八幡宮社 (東山五条) |
源氏堀川館は、源頼義・義家・為義・義朝・義経の邸宅で、「源氏累代の館」と呼ばれていた。 五条坂の若宮八幡宮社は、源氏堀川館にあった若宮八幡宮を始まりとする社。 |
京都市下京区若宮通花屋町上る若宮町 |
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