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御所八幡宮は、二條内裏が焼失したことにより、一時、公卿・中院通成(なかのいんみちなり)の三條坊門万里小路邸を内裏とした後宇多天皇が、1279年(弘安2年)、邸内に石清水八幡宮を勧請したことに始まる。 そのため「御所」という名が付けられたという。 三條坊門万里小路邸は、1180年(治承4年)、平氏討伐の令旨を発した後白河法皇の皇子・以仁王(高倉宮)の邸宅があったので「高倉殿」とも呼ばれていた。 南北朝の時代になると足利直義が邸宅を構えていたが、観応の擾乱後に直義が亡くなると、兄の足利尊氏は、御所八幡宮を再興して足利氏の鎮守とした。 皇室や足利家の保護を受け繁栄したが、応仁の乱後は衰退。 昭和に入って、太平洋戦争の強制疎開によって現在地に移された。 |
応神天皇 神功皇后 比売神 |
御所八幡宮は、足利尊氏の法名等持院から「等持院御所八幡宮」と呼ばれていた。 安産・幼児の守り神として知られ、子供の夜泣き、疳の虫退治に御利益があるという三宅八幡宮とともに「虫八幡」と呼ばれるという。 御池通に面していることから「御池の八幡さん」として親しまれている。 |
京都市中京区御池通高倉東入亀甲屋町594−1 市バス「堺町御池」「烏丸御池」下車 |
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